長南年恵の死因や生い立ちや子孫|予言のトリックは?【何だこれミステリー】

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2022年6月8日放送の『世界の何だコレ!?ミステリー』では明治時代の超能力者・長南年恵(ちょうなんとしえ・おさなみとしえ)が取り上げられます。

明治時代に数々の超常現象を起こした長南年恵。

その超能力のせいで逮捕され、裁判沙汰になったこともあります。

いったいどのような人物だったのでしょうか?

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長南年恵の死因や生い立ち

長南年恵は1863年12月6日に現在の山形県鶴岡市に庄内藩士の長女として誕生。

名前の正式な読み方は「ちょうなんとしえ」で「年恵」ではなく「登志恵」と書くようです。

長南年恵が20歳になるまでの詳しい生い立ちは明らかになっていません。

長南年恵は子守奉公をしていたころに予言のような言葉を口走るようになり、住民が相談に訪れるようになり、有名になります。

 

長南年恵の超能力エピソード

・成人してからも少女のまま
・排泄をしなかった
・風呂に入らなくても髪や身体は常に清潔
・食事は生水と生のサツマイモ
・病気を治す霊水を生み出す
・空の瓶に空気中から水分を集めて満たす
・予言(自身の死も予言していた)

数々の超常現象・超能力で世間を賑わせた長南年恵は1907年10月29日に43歳で亡くなっています。

亡くなる2ヵ月前には自身の死を予言していました。

長南年恵の死因についてはハッキリしたことは判明しておらず、結核で亡くなったといわれています。

長南年恵は水以外のものを口にすると吐血したといわれており、結核の病状によく似ていることから、結核が死因とされていますが、真相は不明。

 

長南年恵は3回逮捕されている

長南年恵が生み出した水は「霊水」と呼ばれ、飲むと病気が治ったといわれています。

これが医師の資格を持たずに、神水を使い病気治療を行ったという詐欺行為ということで彼女は逮捕されます。

最初の逮捕は1985年で勾留中は一切食事を取らなかったと言われています。

60日の勾留期間を終え、証拠不十分で釈放されますが、翌1896年に2度目の逮捕となります。

このときも証拠不十分で釈放されます。

2度の逮捕から4年が経った1900年に再び詐欺行為で逮捕。

彼女が超能力が世間で大きく報道され有名になった頃で、超能力はトリックではないかと疑われ拘留されます。

 

再び裁判が行われ、逮捕されるきっかけとなった「空のビンを一瞬にして霊水で満たす」という超能力が、本物なのか、トリックによる詐欺なのかが焦点となりました。

 

結果、証拠不十分で無罪判決でしたが、弁護士たちがトリックを暴くために「空き瓶を霊水で満たせるか?」と年恵に要求。

年恵はこの要求に応じ、霊水出現の試験を行うことになります。

 

実験は神戸地方裁判所で行われることになり、

トリック防止のために、実験の前に長南年恵は全裸にされ、個室に閉じ込められました。

この個室で精神を集中した長南年恵は、5分ほど経った後に空きビンに濃い黄色の霊水を満たし、裁判長に渡します。

彼女の超能力は本物だと認められました。

 

長南年恵の子孫

長南年恵は生涯独身で子供はいません。

長南年恵には弟がおり、弟の子孫がいるかもしれませんが、現在長南年恵の子孫と判明している人物は世間から確認されていません。

彼女の伝説的なエピソードは弟や信奉者によって伝聞されているものがほとんどなので、信憑性に疑問を持つ人も多いです。

 

実は長南年恵自身が菅原道真の子孫ではないかといわれているみたいです

長南一族が、「菅原道真」を祖先に持つ一族だったと言われていることから子孫だったのではないかといわれているみたいです。※真偽不明

予言のトリックは?

長南年恵の神ががった力は本当だったのか気になりますね。

長南年恵は特に物を引き寄せる能力に卓越していたそうです。他にも、ポルターガイストや霊界の神仏との会話、テレポーテーションなど様々な超能力や霊能力を見せたと言われています。

当時も新聞記者などのマスコミが彼女の不正トリックを暴こうとしますが、駄目でした。

仮に彼女の能力が嘘だったとしても、どのようなトリックを使っていたのかは不明となっています。

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