飯田篤郎+矢野正計の現在とwiki経歴|顔写真と家族【豊田商事会長刺殺事件】

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2022年8月11日放送の【ザ!世界仰天ニュース】では1985年に起きた豊田商事会長刺殺事件が取り上げられます。

マスコミのカメラの前で起きた殺人事件ということで、世間は騒然となりました。

今回は豊田商事会長刺殺事件とその犯人についてまとめていきます。

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豊田商事会長刺殺事件とは?

豊田商事会長刺殺事件とは1985年6月18日に豊田商事会長・永野一男が大阪府の自宅マンションで殺害された事件です。

当時、豊田商事は現物まがい商法による悪徳商法によっ被害総額は2,000億円の巨大詐欺事件を起こした会社として世間を賑わせていました。

 

 

豊田商事は1981年に永野一男氏によって大阪府北区梅田で設立された会社です。「豊田商事」の名前ですが、トヨタ自動車のグループ企業と一切関係ありません。

事業内容は貴金属の販売、有価証券の保有利用等となっていましたが、実際は詐欺手法により高齢者や母子家庭の女性をターゲットに弱者からお金を騙し取り、実態は証券という名目の紙切れしか手元に残らない現物まがい商法を行っていました。

 

事件当日には『今日にも豊田商事の永野一男会長が逮捕されるのではないか』とマスコミが永野会長の自宅マンションの玄関前に集まっていました。

 

そして1985年6月18日午後4時半ごろ、

マスコミが待機しているなか、永野一男氏の自宅マンションに二人の男が訪れます。

 

男らはマスコミの目の前で窓ガラスをぶち壊して永野一男氏の自宅に侵入。

 

約90秒後に出てきた二人の男には返り血がついていました。

 

二人の男は「俺たちが犯人だ。警察を呼べ。」と話し、

駆け付けた警察官によって逮捕されました。

逮捕されたのは自営業・飯田篤郎(当時56歳)建築作業員・矢野正計(当時30歳)の二人です。

 

事件の様子は生中継されており、日本中が騒然となりました。

 

永野一男氏は全身13カ所斬られており、左脇腹の深さ18センチが致命傷となり出血多量で搬送先の病院で死亡が確認されました。

飯田篤郎+矢野正計の現在とwiki経歴|顔写真と家族

永野会長を殺害して逮捕されたのは、

当時56歳の飯田篤郎(左)と当時30歳の矢野正計(右)です。

逮捕された二人のその後については、2020年にデイリー新潮が詳細を報じていました。

飯田篤郎について

主犯格と言われているのが飯田篤郎です。

飯田篤郎は大阪府豊中市で鉄工所を経営。

飯田篤郎の鉄工所では障害者や高齢者を積極的に雇い入れていたそうです。

しかし、不景気の影響などで1984年に5億円の借金を抱えて倒産寸前でした。

高齢者や障害者を積極的に雇い入れていた飯田篤郎にとっては、高齢者を食い物にする豊田商事の手口が許せなかったと述べています。

 

犯行に及ぶ前の飯田篤郎は「被害者から依頼された」と報道陣に告白していましたが、

飯田篤郎は逮捕されてから「命を奪うつもりはなかかったここと、マスコミに煽られてやってしまった。」と話していることが二転三転しています。

また、明確な動機も分からないことから、この事件には黒幕がいたのではないかと言われていますが、真相は不明となっています。

 

裁判では飯田に対して、懲役10年の判決が下されました。

 

飯田篤郎は出所後、近畿地方の3DKの家賃7万円のアパートに70代の妻と子供とひっそりと暮らしています。

近隣住民によると今も元気に過ごしているそうです(2020年時点)。

 

矢野正計について

 

逮捕されたもう一人の矢野正計は飯田篤郎に恩義があり、犯行に協力したと言われています。

矢野正計には懲役8年の実刑判決が下されました。

 

矢野正計は出所後、大阪に住んで雀荘を経営していましたが、2010年頃に広島に移住。

20歳も年の離れた美人な妻と結婚し、5人の子供に恵まれています。

 

 

 

以上が、逮捕された二人の犯人のその後と現在になります。

豊田商事会長刺殺事件のfocus写真

事件後、当時の様子が写真週刊誌『FOCUS』に掲載され、世間に相当なショックを与えました。

 

 

 


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