渡辺忠幸の現在+顔写真と生い立ち|1992年町田市立てこもり事件犯人の名前

スポンサーリンク

2022年7月28日放送の【奇跡体験!アンビリバボー】では1992年に起きた町田市立てこもり事件が取り上げられます。

そこで今回は、町田市立てこもり事件犯人の渡辺忠幸と事件概要を中心にまとめていきます。

スポンサーリンク

町田市立てこもり事件(1992年)の概要

1992年当時、渡辺忠幸(当時23歳)は強盗致傷などの容疑で手配され、ホテルを転々とする生活を続けていました。

警察は渡辺の潜伏先のホテルを割り出し、1992年7月8日に渡辺が潜伏していた神奈川県大和市のホテルを包囲します。

渡辺がホテルを出たのを機に、捜査員が後を追いますが、渡辺は逃走。

逃げる最中に渡辺は捜査員たちに向け発砲し、捜査員一人が死亡(鈴木将人巡査)、もう一人が重傷を負う大けがを負います。

警察は渡辺忠幸が銃を所持していることを知らなかったみたいです。

 

その後、渡辺は子供を人質に取ってトラックで逃走。

横浜市でトラックを乗り捨てると同時に子供を解放し、単独で逃走します。

 

神奈川県警は警視庁と合同で捜査を行い、渡辺が東京都町田市つくし野の民家で家人を人質に立てこもっていることを突き止めます。

 

 

警察は渡辺が立てこもる家の隣の家に臨時の前線本部を設置しますが、なかなか事件解決には至りませんでした。

膠着状態が続くなか、渡辺の知人にあたる男性が警察への協力を申し出て、渡辺の説得にあたります。

渡辺は逃走用の車の用意と、知人の男性に車を運転することを要求します。

渡辺とと人質が逃走用の車に乗り込んだ際、知人男性が、犯人の持っていた包丁を押さえつけます。

その隙に警視庁の特殊犯捜査係が渡辺を制圧し逮捕しました。

 

逮捕されたとき、渡辺は拳銃を持っておらず、逃走中に弾がなくなったため捨てていました。

渡辺忠幸の現在と顔写真

逮捕された渡辺忠幸の顔写真は確認できませんでしたが、↑の動画で素顔は確認できます。

 

渡辺忠幸(当時23歳)は1992年7月9日12時40分に逮捕されました。

 

渡辺は警官らに対する殺傷事件と立てこもり事件だけでなく、それ以前に犯した強盗致傷など合わせて10件以上の罪で起訴されます。

 

渡辺はすべて罪を認め、1993年5月10日に横浜地方裁判所は無期懲役の判決を言い渡します。

 

渡辺忠幸の2022年現在の年齢は53歳で、服役中ということになります。

スポンサーリンク

渡辺忠幸の生い立ちと家族

渡辺忠幸は両親と姉の4人家族でした。

渡辺忠幸の父親は自動車整備工と働いていましたが、アルコール依存症で、酒を飲むと人が変わってしまったそうです。

母親は子供2人を連れて家を出ますが、父親に見つかってしまいます。

結局、母親だけが家を出る形となってしまい、渡辺は姉とともに父親に育てられたそうです。

父親は酒を飲むと性格が変わり、暴れてしまいますが、酒を飲んでいるとき以外は普通の父親だったみたいです。

父親の実家からの助けもあり、なんとか生活できていた渡辺忠幸は中学卒業後に建設会社に就職します。

渡辺忠幸が17歳のときに父親は病死。

 

 

渡辺忠幸は1990年に同い年の女性と結婚して娘も生まれます。

結婚当初は真面目に仕事をしてた渡辺ですが、1990年5月に覚せい剤で逮捕され、執行猶予の判決を受けます。

そして、1990年暮れ頃から仕事にも行かないようになり、金銭目的から窃盗や脅迫、強盗を繰り返すようになります。

妻は夫の犯罪をやめさせようと、警察に通報するなどしていましたが、渡辺忠幸は罪を犯し続けました。

 

そして、1992年7月8日に町田市立てこもり事件が起きてしまいました。

拳銃は知人の暴力団組員から購入したということです。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました