横井英樹の家系図|ホテルニュージャパン社長のその後と現在

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2025年2月18日放送の【ザ!世界仰天ニュース】ではホテルニュージャパン火災が取り上げられます。

 

 

 

杜撰な防火管理体制なども被害拡大の要因となり、33人もの死者が出る大火災となりました。

 

ホテルニュージャパンのオーナーだった“乗っ取り屋”の異名をとる横井英樹氏はその後どうなったのでしょうか?

 

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横井英樹の家系図

横井英樹氏は1913年7月1日生まれの愛知県出身です。

 

横井英樹氏は、戦後から高度成長期にかけて成功した日本の実業家で、

ホテルニュージャパンの買い取り、白木屋(のちの東急百貨店)の株買占めや東洋郵船設立による海運業への進出で脚光を浴びました。

 

 

横井英樹氏の家族

妻・路子
長男・邦彦 – 1943年生まれ
長女・智津子 – 1944年生まれ
次男・裕彦 – 1945年生まれ
孫・Zeebra(本名:横井英之)

 

横井英樹氏の嫁は、横井路子さんです。

子供は男の子が2人、女の子が1人います。

孫の1人にはラッパーのZEEBRAさんがいます。

 

横井英樹(ホテルニュージャパン社長)のその後と現在

横井英樹氏は1979年にホテルニュージャパンの株式の70%を買い占め、社長に就任します。

 

1982年2月8日、イギリス人客の寝ダバコが原因で火災が起こり、33人が死亡、34人がケガをしました。

 

 

ここまで被害が大きくなった原因はホテルニュージャパン杜撰な防火管理体制にありました。

 

・東京消防庁に勧告されていたスプリンクラー設備をスプリンクラーヘッドのみを設置

・自動火災報知設備の点検整備をしなかった

・火災報知機や煙探知機が壊れたままで機能せず

・客数に対して、従業員の数が少なかったため、適切な避難誘導ができなかった

 

さらに、火災事故後に横井英樹氏が「9階10階のみで火災を止められたのは不幸中の幸いでした」と発言したことにも批判が集まりました。

 

その後、横井英樹氏は業務上過失致傷罪で訴えられ、1987年に禁固3年の実刑判決を受けます。

 

1996年に仮釈放され、1997年に刑期を終えています。

 

刑期を終えた翌年の1998年に虚血性心疾患で亡くなっています。

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