高見隆二郎の画像と家族・両親|福知山線脱線事故運転士と彼女の名前

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2024年2月6日放送の【仰天ニュース】では2005年4月25日に起きた「JR福知山線脱線事故」が取り上げられます。

 

死者107人、負傷者563人の大惨事となったJR西日本福知山脱線事故。

 

事故の原因は死亡した男性運転士(23)の焦り・ミスと、当時のJR西日本の教育制度が関係していてとされています。

 

男性運転しの名前は高見隆二郎です。

 

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福知山線脱線事故の概要

高見隆二郎は過去にオーバーランのミスなどで2度の厳重注意を受けていました。

当時、JR西日本ではオーバーランや到着遅れなどのミスをした運転士らに課される日勤教育というものがありました。

 


一部の運転士は日勤教育は、技術向上に効果のないペナルティーと受け取っていたそうです。

 

現に日勤教育を受けた高見隆二郎は、周囲に「トイレへ行くにも断らねばならない」「社訓を丸写しするだけで、意味が分からない」「給料がカットされ、本当に嫌」と不満を漏らしていたそうです。

 

ある同僚には「悔しい。もう絶対にオーバーランはしない。絶対だ」と口にしていたそうです。

 

 

そして2005年4月25日午前8時9分50秒ごろ、高見隆二郎運転士(23)は京橋駅から当時44歳の男性車掌を乗せ、7両編成の尼崎駅行き普通電車を出発させます。

この時、既に定刻より50秒ほど遅れていました。

 

 

高見は電車のダイヤを遵守するためか、規定の速度を超過して車両を運転。

 

9時15分ごろ伊丹駅に到着しますが、72メートルものオーバーランとなってしまいます。

 

オーバーランの影響で遅れは1分20秒に達します。

さらに電車が遅れたことと、オーバーランしてしまったことから、高見運転士は運転に集中できないほど、追い詰められた心理状態になったのかもしれません。

 

電車は制限速度の120キロを超え、9時18分に塚口駅を1分12秒遅れて122キロで通過。

 

そして、電車は事故が発生した制限速度70km/hであったカーブに116km/hで進入し、1両目から転覆脱線。

 

1両目と2両目はマンションビルの駐車場に突っ込み大破。

 

3両目は進行方向のほぼ逆を向くほど回転し、 4、5両目も大きく脱線。

 

6、7両目は軌道に乗ったまま停止します。

 

 

この脱線事故で高見運転士1名と、乗客106名が死亡。

乗客562名が負傷しました。

 

 

 

その後、兵庫県警が2008年9月に高見運転士を業務上過失致死傷容疑で書類送検し、神戸地検は死亡により不起訴としました。

高見隆二郎の画像と家族・両親

 

大阪府東部の生まれで、建設関係会社で働く父親と、専業主婦の母親の元に生まれます。

4人兄弟で一番明るい性格だったそうです。

 

高校3年間を通してトップクラスの成績を収め、

新幹線の運転士になるの夢のために2000年4月にJR西日本に入社。

 

2004年5月に京橋電車区所属の運転士になります。

 

運転技量審査は平均点よりやや上で、勤務評価では平均を大きく上回っており、周囲からも真面目な社員と評価されていました。

 

しかし、オーバーランなどのミスを繰り返し、3回の日勤教育を受けたとされています。

 

小学生時代からの親友の話では、2004年6月頃に13日間の日勤教育を受けてから高見運転士の様子がおかしくなっていったそうです。

高見隆二郎の彼女の名前

事故当時、高見隆二郎運転士には高校時代から交際していた彼女がいたとされています。

ネット上では彼女が脱線事故後に自殺したと噂になっていますが、情報源はネットに書き込みによるものでした。

そのため、高見隆二郎運転士の彼女が自殺したという話はデマの可能性が高いです。

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