坂野旭飛wikiプロフィールと父親と母親|転落事故の原因【札幌すすきの】

スポンサーリンク

ノルディックスキー・ジャンプ男子の坂野旭飛選手が、2025年7月1日に札幌市のススキノの雑居ビルから転落し、死亡しました。

 

まだ19歳という若さで、未来を担う有望なジャンパーが亡くなったことに悲しみの声が広がっています。

 

坂野さんの体内からはアルコールが検出されており、警察は坂野さんが誤って転落した可能性もあるとみて、詳しく調べています。

 

本記事では坂野旭飛さんのプロフィールと家族についてまとめていきます。

 

スポンサーリンク
スポンサーリンク

坂野旭飛wikiプロフィール

 

 

坂野旭飛さんは2005年8月13日生まれの北海道札幌市出身です。下川商業高校卒業後、雪印メグミルクスキー部に所属していました。

 

小学2年生からスキージャンプを始め、札幌栄南中3年時に札幌市長杯(少年組)で中学生として史上初の優勝を達成。

下川商業高校在学中の2023年、全国高校総体(インターハイ)でスキージャンプ男子個人初優勝。

 

2022年から世界ジュニア選手権に4大会連続出場し、2024年2月のワールドカップ(W杯)に初出場。国内だけでなく、国際大会でも活躍し、実績を積み重ねていました。

高校時代から圧倒的な強さで注目され、今後が期待されるなか、早すぎる逝去に多くのファン、関係者が哀悼の意を表明しています。

 

坂野旭飛の父親と母緒|妹が1人いる

坂野旭飛選手の父親は、元スキージャンプ選手で雪印メグミルクスキー部前監督の幸夫さんです。

 

名前: 坂野幸夫(さかの ゆきお)
生年月日: 1976年2月3日
出身地: 山形県米沢市
学歴: 米沢市立第三中学校 → 山形県立米沢工業高等学校
所属: 雪印メグミルクスキー部

 

・選手時代

1994年に雪印メグミルクスキー部に入社し、スキージャンプ選手として活動。
1994年リレハンメル冬季オリンピックでは、日本チーム(原田雅彦、西方仁也、岡部孝信、葛西紀明)の一員として国別団体戦に出場。
2010-2011シーズンには全日本スキー連盟のジャンプ日本代表(Bチーム)に選出された。

・指導者として

選手引退後、雪印メグミルクスキー部のコーチを経て、2023年4月に同部の監督に就任。2025年3月まで監督を務め、その後は雪印メグミルクの北海道支店で営業社員として活動。息子の坂野旭飛選手を幼少期から指導し、彼をスキージャンプの有望な若手選手に育て上げた。

 

坂野旭飛選手の母親についての詳しいプロフィールは公開されていません。

ただ、坂野旭飛選手が幼少期にスキージャンプを始めた際、母親が彼をジャンプ台に連れて行き、声援を送っていたことから、息子の活動を支えていたことが分かります。

 

坂野旭飛選手には両親の他に、2歳年下の妹さんが一人います。

妹さんの名前は「坂野ひなた」さんです。

兄と同じくスキージャンプをしており、札幌ジャンプスポーツ少年団で活動していました。ひなたさんの最近の動向は不明となっています。

 

転落事故の原因【札幌すすきの】

坂野旭飛選手が転落したのは札幌市中央区南7条西4丁目の雑居ビル3階からです。

7月1日午前1時すぎ、近くを通った人から「人が落ちてきた」と警察に通報があり、事故が発覚。

 

坂野選手は、3階の共用部分のバルコニーから転落したとみられ、意識不明の状態で病院に搬送されましたがその後死亡が確認されました。

 

 

坂野選手の体内からアルコールが検出されており、現時点では、事件性や自殺の可能性は低いとされ、不慮の事故として扱われています。

 

 

坂野選手が転落したビルの3階には飲食店が入っていました。

 

 

 

 

事故の詳細な原因は現在も調査中ですが、飲食店で酔っぱらってしまい、バルコニーから誤って転落してしまったかもしれませんね。

 

坂野選手はまだ19歳で未成年です。

未成年にお酒を提供したお店や、同席者が責任を問われるかもしれません。

 

19歳と知ってて一緒に飲んでいた人、お店側。知らないわけないよね。期待の星、残念です。ご冥福をお祈りいたします。

 

タイトルとURLをコピーしました