フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』で長年にわたり取り上げられている大森昌也さん。
番組の人気シリーズ「われら百姓家族」(2000年初回放送)で、家族の自給自足生活をテーマに、1998年から約20年以上にわたる密着取材が続けられています。
2025年10月の30周年特別企画でも特集され、話題になっています。
本記事では大森昌也さんの家族の現在と、病気・死因についてまとめていきます。
大森昌也さんについて
- 名前:大森 昌也(おおもり まさや)
- 生年:1942年3月生まれ
- 出身地:不明
- 職業:自給自足農家、執筆家、元国鉄職員
- 居住地:「あ〜す農場」
- 没年:2016年(享年74)
- 生い立ちと結婚: 大森さんは学生運動に積極的に参加した過去を持ち、卒業後に妻と結婚。都会での生活を送っていましたが、子供たちのアレルギー体質(特に長男の喘息)を改善するため、1990年代に兵庫県朝来市(当時は旧・和田山町)の山奥へ移住を決意します。
- 自給自足生活の哲学: 「自分たちの食べるものは自分たちで作る」という信念のもと、徹底した自然回帰生活を実践。畑耕作、米作り、川の水力発電、薪割りなど、手作業中心の暮らしを営み、大量消費社会への批判を体現しています。この選択は、ドラマ『北の国から』を現実化したような壮絶さで視聴者に印象づけています。
- 教育方針の特徴: 子供たちに自主性を尊重し、学校教育を強制せず「行きたくなければ行かなくていい」と選択させるスタイルを取っていました。これにより、長男は高校進学を断念し、弟妹の面倒を見ながら家族の生活を支えました。この方針は視聴者から賛否両論を呼び、議論を呼ぶ要素となっています。
大森昌也の妻・息子・娘の家族構成
大森家は当初、父親(昌也さん)と6人の子供たち(母親は長男15歳時に離婚で離脱)の7人でスタート。子供たちは男3人(長男ケンタ、次男げん、三男ユキト)、女3人(長女ちえ、双子のれいとあい)です。
シリーズでは、15年後(2014年放送)や18年後(2017年「遺言」編)のフォローアップが描かれ、子供たちの結婚・独立、家族の変化が追われています。
- 父親: 大森昌也
- 母親: 名前は非公開。長男が15歳の頃(1990年代後半)に離婚により家族から離脱。その後は昌也さんが単身で子育てを担当。
- 子供たち: 6人(男3人、女3人)
子供たちの詳細
- 長男: ケンタ
- 家族の中心的な役割を担い、幼少期のアレルギー(喘息)が移住のきっかけに。学校には行かず、家族の農作業や弟妹の世話を優先。2014年放送時点で独立し、自身の道を歩んでいる様子が描かれた。
- 次男: げん
- 詳細な動向は番組であまり深く触れられていないが、家族の自給自足生活を支える一人。2017年「遺言」編では成長した姿が垣間見える。
- 三男: ユキト
- 末っ子として登場。姉妹たちと比べると幼い時期のエピソードが多い。2014年以降の放送で進学や独立の様子が一部紹介。
- 長女: ちえ
- 姉として弟妹を支える姿が描かれる。2014年放送「ふる里を離れて…」では、故郷を離れ新しい生活を模索する姿が焦点に。
- 双子の娘(1): れい
- 双子の姉妹として、ちえと共に家族の女性陣の中心。2014年放送で故郷を離れた生活や結婚など、人生の転機が描かれた。
- 双子の娘(2): あい
- れいと双子で、幼少期は二人で行動する姿が印象的。2014年以降、れいと同様に独立や新たな生活の様子が番組で追われた。
死因と病気
大森昌也さんは2015年6月から上顎洞ガンで闘病し、2016年3月24日に亡くなりました。
晩年(2010年代半ば頃~)の大森さんは闘病生活を送っており、最初は前立腺癌を患っていました。
左目を摘出するなど、厳しい闘病生活でしたが、最後まで「百姓」としての誇りを失うことはありませんでした。