大平吉郎(盛岡)の遺産20億相続は誰?裁判と遺言内容【仰天ニュース】

スポンサーリンク

2024年1月16日の仰天ニュースでは20億円の遺産を残して亡くなった大平吉郎さんが取り上げられます。

 

大平さんは身内がおらず、一人暮らしだったため、その20億円の遺産のめぐって裁判沙汰になった経緯があります。

 

遺産20億円はどうなったのでしょうか?

スポンサーリンク

大平吉郎(盛岡)の遺産20億円と家族

 

2014年3月、岩手県盛岡市に住む大平吉郎さんが92歳で亡くなりました。

 

 

 

大平さんは早稲田大学出身で、元高校教師で数学を教えていました。

 

大平さんは盛岡市の中心部などに多くの土地を所有する大地主だったため、遺産総額は20億円にものぼりました。

 

しかし、大平さんは未婚で子供がおらず、唯一の身内に未婚の姉がいたのですが、

 

その姉は大平さんより先に亡くなっていました。

 

そのため、遺産を相続できる法定相続人がいませんでした。

 

 

そこに、大平さんと交流のあった不動産業者、大平さんの遠い親戚、大平さんと親交のあった近隣住人の3人が、相続人がいない場合に遺産を受け継ぐ「特別縁故者」として名乗りを上げました。

大平吉郎(盛岡)の遺産20億を相続は誰?裁判と遺言内容

大平さんが残した遺産は裁判の結果、

「特別縁故者」として名乗りを上げた3人にはほとんど相続されず、多くは “国庫” へいれられてしまいました。

 

 

しかし、この結果は生前の大平さんの遺志に背く形となってしまいました。

実は大平さんは生前に未完の遺言書を作成していました。

 

 

生前に大平さんから遺産整理の相談を受けていた行政書士の露崎さんの話によると、

 

大平さんは役所が嫌いで、『遺産が国のものになるのは嫌だ』といつも口にしていたそうです。

 

生前の大平さんの構想では遺産で財団法人を設立し、財産を管理。

 

邸宅や自宅の庭園、姉が所有していた絵画などを一般公開し、母校の早稲田大学へ奨学金の寄付も望んでいました。

 

露崎は大平さんと相談して、2012年8月に財団設立などを盛り込んだ遺言書案を作りましたが、大平さんは『95歳になったら署名押印する』と、遺言書を完成させませんでした。

 

おそらく、まだ自分がすぐに亡くなるとは思っていなかったのでしょうね。

 

それから1年半後に大平さんは92歳で亡くなってしまったため、遺言書は永遠に未完成となってしまいました。

 

 

そして、裁判の結果、裁判所から選任された弁護士が財産管理人になり、国庫に返納するために遺産を次々と現金化。

 

 

大平さんが一般公開を望んでいた自宅も取り壊され、本人の意思に背く財産処分になってしまいました。

 

スポンサーリンク

 

 

 

タイトルとURLをコピーしました