桐島聡は何した?生い立ち・経歴と家族まとめ

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1970年代に起きた連続企業爆破事件で、爆発物取締罰則違反容疑で指定重要指名手配されていた桐島聡容疑者(70)とみられる人物の身柄が確保されたと報じられました。

 

 

桐島聡とはいったいどのような事件を起こしたのでしょうか?

 

詳しくまとめていきます。

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桐島聡は何した?

桐島聡は東アジア反日武装戦線『さそり』メンバーで、1975年4月に東京・銀座のビルに手製爆弾を仕掛けて爆発させ、一部を壊した疑いが持たれています。

 

東アジア反日武装戦線とは1970年代に活動していた武闘派左翼グループ。
東アジア反日武装戦線は、主に「狼」「大地の牙」「さそり」の3つのチームに分かれて活動を行っており、桐島は「さそり」に所属。

反日亡国論やアイヌ革命論などを唱え、爆弾を用いて、上場企業への爆破テロなどを行っていました。

 

桐島聡は、1974年から1975年の連続企業爆破事件に関与した疑いが持たれています。

 

・鹿島建設爆破事件(1974年12月23日)
・間組本社・工場同時爆破事件(1975年2月28日)
・韓産研爆破事件(1975年4月19日)
・間組作業現場爆破事件(1975年4月28日、5月4日)

 

 

連続企業爆破事件に関与した桐島聡は、東アジア反日武装戦線の主力メンバーが1975年に逮捕されたのをきっかけに逃亡し、指名手配されています。

 

 

確保された桐島と思われる70歳の男性は、偽名で入院中とのこと。

 

確保された男性が、桐島聡本人と特定されれば、49年ぶりに確保されたことになります。

桐島聡の生い立ち・経歴

桐島聡は1954年1月9日生まれの広島県出身。

広島県立尾道北高校を卒業後に上京し、1972年に明治学院大医学法学部に進学します。

 

高校時代から全共闘の思想に共感し、大学在学中に左翼活動家の黒川芳正や宇賀神寿一と出会ったことがきっかけで、東アジア反日武装戦線に参加。

 

武力闘争・テロ行為を行うようになります。

 

1975年5月19日に主要メンバー7人が逮捕されたことで、桐島聡は逃亡し、行方が分からなくなっていました。どのような逃亡生活を送っていたかは、今後解明されると思います。

 

東アジア反日武装戦線のメンバーの中で、一度も逮捕されていない唯一のメンバーであり、

起訴後にダッカ日航機ハイジャック事件により国外逃亡した大道寺あや子と共犯の事件に関しては刑事訴訟法254条2項の規定により共犯者の公判中という形で公訴時効が停止しています。

 

そのため、桐島聡が起こした事件の一部はまだ時効が成立していません。

 

桐島聡の家族

桐島聡の家族の詳細については不明でした。

 

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