2024年11月17日放送の【ザ・ノンフィクション】では映像ディレクターの落合陽介ギフレさんが取り上げられます。
画家・落合皎児さんの追悼展で歌わせてもらいました。スピナビルさんもカッコよかった!
長野市松代は美しくとてもディープな街。盟友・安達茉莉子ちゃんも駆けつけてくれました。落合皎児さんが残した絵は息子の陽介ギフレさんがこれから光を当てていきます。絵にご興味ある方はつなぎますので是非。 pic.twitter.com/jbSSHGYUn4— Kei Owada | 大和田慧 (@keiowada) October 18, 2024
落合陽介ギフレさんの父親である画家の落合皎児(こうじ)さんは、2024年4月に自宅で発生した火災で亡くなっており、放送では親子関係に焦点があてられます。
そこで本記事では落合陽介ギフレさんの家族についてまとめていきます。
落合陽介ギフレの父親と母親
落合陽介ギフレさんの父親である落合皎児さんは、1980年代に活躍した画家です。
生年月日:1948年??月??日生まれ
没年月日:2024年4月11日
年齢:76歳(享年)
出身地:長野県松本市
家族構成:妻(故人)長男:落合陽介ギフレ 次男(故人)
落合皎児さんは20歳でスペインのサン・ホルヘ美術大学に留学し、帰国後もスペイン各都市やジュネーブなどで作品を発表。
1984年には第34回ジョアン・ミロ賞で第一席を受賞し、1989年には「スペインの画家150人」に選出され、高い評価を受けます。
落合皎児さんは画家としては優秀でしたが、一方では酒浸りの変わり者で家族は幸せというわけではありませんでした。
落合皎児さんは結婚して妻と息子2人の4人家族でしたが、酒浸りの生活で離婚に至ります。
長男の陽介さんは12歳の時に1人で家を出ており、寮での生活を送ります。その後、母親は孤独死、弟は20歳で自死しています。
近年、落合皎児さんは長野市松代町にアトリエを構えて活動していましたが、2024年4月に自宅火災で亡くなります。※出火原因は公表されていないが事件性はなし
松代在住の落合皎児先生の個展、この絵は小さな窓という平和への思い、いい戦争も悪い戦争もない。そして「作品に手を触れてご覧ください」の貼り紙、普通と逆、作品は人の手で触れられて育つのだそうです。すごいです。
今朝は末広町の交差点で街頭やって上京です。 #落合皎児 #松代 pic.twitter.com/jN1pPSpLWx— 小松ゆたか(小松裕) (@komatsu_yutaka) November 28, 2016
現在、落合皎児さんの家族は落合陽介ギフレさんしか残っていません。
落合陽介ギフレのwiki経歴と結婚・嫁
落合陽介ギフレさんは、スペイン生まれの長野県育ちです。
2024年11月現在の年齢は44歳です。
映像ディレクターとして、日本のテレビ業界でスタッフとしても活動されています。
父親の死後、焼失免れた父の遺作に光を当てた追悼展を企画されました。
【もちよりRadio 5-40📻松代体験記/物語をつなぐもの】
今年春に亡くなった画家 落合皎児さんの追悼展で歌うために、長野県長野市松代町へ向かった二人。もちよりドキュメンタリーな回。最後に弾き語りあり。https://t.co/QyIVyRANhF#もちよりラジオ pic.twitter.com/8W0rGFv0Z2— 大和田慧と安達茉莉子のもちよりRadio (@mochiyori_radio) October 24, 2024
父に対する複雑な思いもあったそうですが、「芸術家としての父親のことを知ってもらいたい」という思いから追悼展を企画されています。
落合陽介ギフレさんのfacebookを確認したところ、既婚であることが分かりました。
しかし、奥さんの名前や顔画像、子供の有無は不明でした。