2023年5月16日放送の【仰天ニュース】では2000年5月3日に起きた西鉄バスジャック事件が取り上げられます。
高速バスがバスジャックされ、1人が殺害され2人が重傷を負わされた事件の犯人は、当時17歳の少年だった谷口誠一でした。
本記事では谷口誠一と西鉄バスジャック事件について詳しくまとめていきます。
西鉄バスジャック事件の概要
2003年5月3日に福岡・天神行きの西鉄高速バス「わかくす号」を刃渡り40cmの牛刀を持った谷口誠一(17歳)がバスジャックします。
谷口誠一は牛刀を手に運転手や乗客22名を脅して人質に取り、「わかくす号」を福岡自動車道から中国自動車道を経て山陽自動車道へと走行させます。
走行中に女性3人を斬りつけて内1人を失血死させ、2人に重傷を負わせました。
14時半頃にトイレ休憩が行われた際に、乗客の1人が逃走して事件が発覚。
対策本部も設置され、事件から21時間後の5月4日午前5時に、特殊部隊SAT15名がバスに侵入し、谷口誠一は確保されました。
この事件で2人が負傷、1名が死亡し、日本のバスジャック事件で初めて死者が発生しました。
谷口誠一(西鉄バスジャック事件犯人)の現在
西鉄バスジャック事件の犯人は当時、年齢が17歳だったため、名前は公表されていませんでしたが、
ネット上では、犯人の名前は「谷口誠一」とされています。
事件当時、谷口誠一は、いじめが原因で自宅で引きこもりがちになり、家族に暴力をふるうようになっていました。
両親は谷口を精神科医に診せたり、警察に相談するなどの対応をしていましたが、改善はしませんでした。
そして事件直前に谷口は2ちゃんねるで「ネオ麦茶」を名乗り、犯行声明を出して、犯行に及びました。
この事から、谷口誠一をネオ麦茶、西鉄バスジャック事件をネオ麦茶事件と呼ばれることもあります。
谷口誠一は、銃砲刀剣類所持等取締法と人質による強要行為等の処罰に関する法律違反で逮捕。
佐賀家裁は谷口誠一の責任能力を認めたものの、精神鑑定で「解離性障害や行為障害の症状」も指摘されており、精神科医の観察が必要と判断されます。
谷口誠一は、5年以上の医療少年院送致とする保護処分が下され、2000年10月に京都医療少年院に収容。
心の立て直しを図る為の「更生プログラム」を受けることになります。
2007年1月に谷口は23歳で医療少年院から仮退院となり、3カ月の保護観察処分となります。
その後、谷口誠一は社会復帰しているとみられますが、現在どのように暮らしているのかは不明となっています。
神戸児童連続殺傷事件を起こした酒鬼薔聖斗をはじめ、未成年犯罪者の出所後の動向はわかっていません。
谷口が事件を起こした動機についても詳しいことは不明ですが、事件を起こしたことについては、反省と後悔していることは事実のようです。
なぜなら、谷口誠一は出所後に、被害者に「事件を起こすに至った経緯と謝罪」を書き綴った手紙を送っているからです。
また谷口の両親は遺族と被害者にしっかりと賠償金を払っています。
事件後、両親は被害者22人に賠償金を支払う事が確定し、内訳は死亡者が550万円、重傷者が350万円など、総額は1380万円になりました。
賠償金を払ったからといって許されるわけではありませんが、一応の責任はとったということになります。
谷口誠一(西鉄バスジャック事件犯人)の両親と生い立ち
谷口誠一は1983年生まれの佐賀県出身で、妹が一人います。
父親が建設機械の会社に勤めるサラリーマン、母親は役所で保健師として働く、ごく普通の一般家庭に生まれます。
谷口誠一は小学校の時から成績は良く、周囲からは優等生と見られていました。
一方で、協調性に乏しく、学校では同級生と馴染めなかったせいで、いじめの対象になってしまいます。
成績の方も中学生なってから下降し、高校受験が目前に迫った1998年1月には同級生たちの挑発を受けて、踊り場から飛び降りるも着地に失敗して重傷を負い入院。
なんとか佐賀県立致遠館高等学校を受験して合格したものの、校風が合わないという理由ですぐに中退します。
以降、自宅に引きこもり始めます。
引きこもるようになってからは、インターネットの掲示板「2ちゃんねる」にハマり、家族に暴力を振るうようになります。
両親は精神科医に診せたり、警察に相談。
一時は、医療保護入院となりますが、改善しませんでした。
そして、2000年5月日に凶行に及びました。
亡くなった人は誰?
谷口誠一の犯行により、元小学校教師の塚本達子さんが亡くなりました。
塚本達子さんは1931年生まれ。小学校教師を29年間務め、その後モンテッソーリ養成コースを受講して幼児室を開設していました。