2月6日に放送された『サンデーモーニング』で平原依文(ひらい いぶん)さんが出演されました。
綺麗で可愛いと話題になっています。
そこで今回は平原依文さんの経歴についてまとめていきます。
平原依文のwiki経歴や年齢
平原氏は生年月日を公表されていないようですが、1993年生まれで年齢は29歳ではないかと言われています。
平原氏は小学2年生から単身で中国、カナダ、メキシコ、スペインに留学。
東日本大震災がきっかけで帰国し、日本の大学を卒業。
新卒でジョンソン・エンド・ジョンソンに入社、デジタルマーケティングを担当します。
「社会の境界線を溶かしたい」と考え、WORLD ROADを設立し、独立。
現在はWORLD ROADでの仕事をメインに働いているとのこと。
WORLD ROADの事業内容
・SDGsに関連したコンサルティング・ブランディング事業
・教育機関向けの事業
平原氏は保育園から小学校1年生まで、ずっといじめられており、自分の殻に閉じこもるようになります。
その後、中国人の女の子が転校してきたら、いじめの対象がシフト。
しかし、中国人の女の子はいじめをものともしなかったことから、平原氏は中国に興味を持つようになり、強くなるために中国留学を決意します。
平原依文の略歴
1993年
東京都目黒区にて誕生。
2000~2006年 小学生
小学校1年生時に自分と中国人の女の子がいじめられていた経験から中国へ行ってみたいと考えるようになる。
小学2年生の2学期から、中国の全寮制の学校に留学。
小学6年生の時、友人がカナダに移住することになったのをきっかけにカナダに興味を持ち留学を決める。
2007~2010年 中学生
カナダへ留学。
中学2年生の時にはもう「日本の教育を変えたい」という思いが芽生え始めていた。
2010~2013年 高校生
メキシコへ留学。
高校2年生の時、東日本大震災が起こり父親の癌も発覚したことで、日本に帰国。
2013~2017年 大学生
2013年4月 早稲田大学国際教養学部入学。
2017年3月 早稲田大学国際教養学部卒業。
2017年
「ジョンソン・エンド・ジョンソン」に入社し、デジタルマーケティングを担当。
入社後6か月で、社長直下のチームリーダーを任される。
昇進の話が出るが、自分が本当にやりたいことが「子供大人関係なく、誰もがやりたいことを見つけ自分の軸を形成できるサポート」だと気づく。
その後、転職を決め「プロノイア・グループ株式会社」で広報兼SDGsを担当する。
2018年
青年版ダボス会議に出席。
そこに参加していたたくさんの社会起業家から刺激を受ける。
2019年
6月に「みんながひとつに歩き回れる道を作りたい」という思いから、「WORLD ROAD」を立ち上げ代表取締役に就任。
学歴(大学・高校)
平原氏は8歳の頃から単身で中国渡ったため、学生時代のほとんどを海外で過ごします。
小学校~高校までの詳しい学歴は不明でしたが、中国では中国人と朝鮮人しかいない全寮制の学校に通います。
仲の良かった友人がカナダ国籍を持っていたことからカナダに興味を持つようになり、
12歳でカナダのバンクーバーに移ります。
カナダではホームステイで生活をし、16歳の時の交換留学でメキシコに行きます。
メキシコに留学中に急に母から父親が胆管癌になったと連絡が入り日本に帰国します。
日本に帰国したのが2011年3月11日で東日本大震災が起きた日でした。
平原氏はヒッチハイクしながら父の病院まで向かいます。
この時に車に乗せてもらった『おあばあちゃん』との出会いがターニングポイントとなります。
メキシコから帰ってきたという話をしたところ、おばあちゃんに「メキシコだったら同じようにヒッチハイクしていた?」と聞かれたんです。
「メキシコだったらしていない」と答えたところ「じゃあなんで日本ではできたんだと思う?」と言われました。そして「日本は安心安全な国だからできたんだと思うけど、その安心安全な日本はどうやってできたと思う?」とも。
「若者はすぐに外に出ようとするけれど、私たちの世代が頑張って今の安全で安心な国に日本を作ってきたことを理解して欲しいし勉強してほしい」そうおばあちゃんに言われた私はそれまで海外ばかりに目を向けていたことに気づきました。この出会いが私にとってとても印象に残り、「私は日本にどうやって貢献できるだろう ?」と考え始めるきっかけとなりました。
おばあちゃんと会話をきっかけに日本に目を向けるようになります。
父親の病気の事もあり、日本に帰国することを決め、大学は早稲田大学国際教養学部に進学しました。
平原しはこれまでの海外経験などから教育を変えたいという思いを抱きます。
大学卒業後は戦略コンサルタントとして経験を積んでから独立をしようと考えるようになります。
2017年4月に大学を卒業し、父親の勧めもあり、ジョンソン・エンド・ジョンソンに入社します。
両親(父親 母親)や結婚は?
平原依文氏は両親について、
『私の母は私が3ヶ月の時に血のつながらない父と結婚したのですが、シングルマザーとして私を産んだため、母(文子)に依存するということから「依文」と名付けられました。』
と取材で答えています。
母親の名前は『文子』さんというようですね。
シングルマザーの文子さんの元に生まれ、依文氏が生まれてからすぐに依文氏の実父とは別の男性と結婚されたようです。
依文氏は父親とは血が繋がっていなかったそうですが、先述の通り、父親が病気になったときは日本に戻っているので、良好な関係だったと思います。
父親の名前は不明ですが、製薬会社で働いていました。
父親は平原依文氏が22歳の時に残り2週間の余命宣告を受け、亡くなってしまったようです。
しかし、ある昇進の辞令をもらった日が、たまたま父の命日で、ふと「このままでいいのだろうか」と思いました。父に憧れて医療関係の会社に入りましたが、父の仕事内容ではなく、仕事への熱いパッションに憧れたのではないかと疑問に思ったのです。今の仕事に対して、父と同じレベルのパッションを持っていないことを思い出しました。
平原依文氏が結婚しているという情報は確認できませんでした。