田中公司1等空佐の顔画像や経歴(高校・大学)ブルーインパルス隊長

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2022年1月31日午後5時半ごろ、航空自衛隊小松基地がF15戦闘機1機が離陸した直後にレーダーから消え行方不明になりました。

行方不明になったF15戦闘機は墜落したとみられ、現在もパイロットの捜索が行われています。

 

2月1日に、防衛省は機体に乗っていたのは部隊のトップにあたる飛行教導群司令の田中公司1等空佐(52)と、植田竜生1等空尉(33)だと発表しました。

 

 

 

そこで今回は田中公司1等空佐についてまとめていきます。

※追記

2月14日に、消息不明だった2人目のパイロットの遺体が発見され死亡が確認されたと報じられました。

 

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田中公司1等空佐の顔画像

事故機に搭乗していた田中公司(たなか こうじ)1等空佐は年齢52歳で、「ブルーインパルス」の隊長を務めた経験もあるベテランパイロット。

田中1佐は小松基地に拠点を置く飛行教導群トップの群司令で、植田竜生(うえた りゅうせい)1尉もこの部隊に所属していました。

2人の顔画像は公表されていませんが、田中公司1等空佐はブルーインパルス」隊長務めていたということで、かなり有名な人物だったようです。

 

NHKの報道によると、2011年3月に起きた東日本大震災の影響で「ブルーインパルス」は宮城県の松島基地から一時、福岡県の芦屋基地に拠点を置いていました。震災から2年がたった2013年3月に松島基地に帰還。田中1等空佐は、その頃に隊長を務めていたとのこと。

 

このことから行方不明になっている田中1等空佐の

 

顔画像はこちらのようです。

2013年の福岡県朝倉郡筑前町広報誌で『ブルーインパルス隊長 田中公司さん』と紹介されていました。

 

田中公司1等空佐の経歴(高校・大学)

田中公司さんは福岡県生まれで、防大38期出身。

生年月日は不明でしたが、出身高校は西南学院高校高校とネットに情報がありました。

幼少期から『操縦士になりたかった』という想いから防衛大学を出て、航空自衛隊に入ります。

2011年〜2014年まで、ブルーインパルスに入隊。

ブルーインパルス入隊以前は戦闘機に乗っていたそうですが、詳しい経歴は不明でした。

2021年6月より現職に就いていました。

田中公司さんの結婚やお子さんについての情報は確認できませんでした。

※追記

田中公司1等空佐がドラマに出演していたことが判明しました。


 

こちらが出演シーンになります。

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墜落事故の原因は?

田中公司1等空佐と、植田竜生1等空尉はベテランパイロットで、豊富な飛行経験を持つ精鋭でした。

 

航空自衛隊|飛行時間
・田中公司1等空佐:およそ2800時間
・植田竜生1等空尉:およそ1900時間
墜落事故の原因が、操縦士の操縦ミスとは考えにくいですね。
操縦士が平衡感覚を失う「空間識失調」が原因だったとのではとネット上で指摘する声がありますが、
今回は2人乗りのF-15DJという機体で、主操縦士に異常が生じても同乗者が代わりに操縦できたそうです。
このことから防衛省関係者も「乗員の練度は十分で、本当に何があったのか分からない」と話しています。
現在、空自の事故調査委員会が事故原因を調べていますが、まだ事故原因の判明まではしばらくかかりそうです。
ただ、事故機が基地を離陸した直後、管制官がオレンジ色の光に気付き、無線で呼びかけたものの応答はなかったということが明らかになっています。
空自は機体の一部が爆発した可能性も視野に、事故との関連を調べる方針とのことです。
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