造田博の生い立ちと両親や兄の現在|統合失調症で死刑執行停止?

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今回は1999年に起きた池袋通り魔殺人事件の犯人・造田博(ぞうた ひろし)について取り上げます。

この事件では女性2人が死亡して、6人が負傷しました。

造田博が起こしたこの事件は、決して許されることではありませんが、造田博の生い立ちを知ると、彼に同情してしまう声もあるようです。

 


そこで今回は造田博の生い立ちと現在についてまとめていきます。

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池袋通り魔殺人事件の概要

事件が起きたのは1999年9月8日、東京池袋。

当時23歳だった犯人の造田博は少年時代からの不遇な人生と努力しても報われない社会に嫌気がさし、凶行を決意。

 

造田浩は白昼堂々と繁華街で包丁と金槌を凶器に次々と人を襲い、2人を殺害、6人に重軽傷を負わせます。

 

彼は池袋駅前まで逃げたところを通行人の男性らに取り押さえられ、その場で警察によって現行犯逮捕されました。

造田博の生い立ち

造田博は1975年11月29日生まれの岡山県倉敷市出身。

真面目な大工の父親、内職で家庭を支える献身的な母親、4歳年上の兄の4人家族でした。

造田家は資産家というわけではありませんでしたが、それなりに裕福でした。

しかし、父親が兼業農家だった祖父から相続した土地を売却し、多額の資産を得たことから歯車が狂い始めていしまいます。

多額の資産を得たことがきっかけで真面目に働いていた父親は働かないようになります。

働かなくなった父親の姿を見た母親は保険の外交員として働くようになりますが、資産が増えたせいなのか、金銭感覚が狂ってしまいます。

造田博の中学時代には両親共にギャンブルに明け暮れる日々を送ることになります。

少しでもお金があれば、全てギャンブルに注ぎ込んでいました。

そんな家庭環境のなか、造田博は真面目に勉強し、地元の進学校である岡山県立倉敷天城高等学校に合格します。

しかし、両親の浪費癖は治らず、ギャンブルの誘惑に負けて4000万円もの借金をしてしまいます。

4000万円もの借金を返せるあてもない両親は、1993年11月に両親は造田浩を捨てて蒸発します。

当時は4歳年上の兄は既に実家を出て、広島で大学生として自活していました。

そのため、造田博は1人取り残されてしまいます。

 

連日のように金融業者が取り立てに押し寄せ、生活にも窮しますが、造田博は大学進学を希望していたためアルバイトしながら学校生活を続けます。

しかし、子供一人ではどうすることもできずに、1993年に高校を中退します。

 

1994年1月に広島にいた兄を頼り、福山市内に有るパチンコ店で働き始めます。

 

しかし、仕事が長続きせず、弁当販売店のアルバイト、パチンコ店店員、造船所の塗装工、住宅美装会社など職を転々。

判明しているだけでも14回の転職を繰り返します。

造田博は職場では真面目に働き、人間関係においても問題を起こさないように嫌なことも我慢して気を使うなど努力をしていました。

しかし、給与面や待遇に不満があり、長続きしなかったみたいです。

 

元々大学進学を希望していたため、現状に不満があったのだと思います。

 

弟の事を案じた兄は時には厳しい言葉で造田博の事を叱咤激励しますが、造田博は仕事を辞めるたびに落ち込み、自分の殻に閉じこもるようになります。

造田博はこの頃から徐々に精神的な異常がみられるようになり、苦労や努力が報われないことに不満を募らせていきます。

そして、徐々に壊れ始めてしまいます。

妄想や思い込みが激しくなる

仕事が続かず、お金がなくなった造田博は万引きを繰り返すようになり、そのたびに兄が代わりにお店へ謝罪します。

さらに小学校の時に好きだった同級生のA子さんに告白されたと思い込み、大学生になったA子さんに好意を伝える手紙を送ります。

A子さんの自宅に電話をかけたり、直接自宅にも行くようになります。

A子さんは当然、造田博の行動に恐怖を覚え、拒否します。

A子さんの父親が造田博に「娘はあんたのことを知らない。本人も嫌がっているし、うちの子にはまだ勉強することがある」と話して対応。

このときは造田博は素直に応じますが、

1998年6月にA子さんがアメリカへ留学していることを聞きつけると、自分もアメリカを訪れます。

 

造田博は僅か200ドルの所持金を持って米オレゴン州のポートランドへと渡航しますが、A子さんと会うことは出来ず、

パスポートを破り捨てるという狂気染みた行動に出ます。

 

最終的に日本領事館によって保護された造田博は、斡旋されたジャパニーズ・パブテスト教会の援助で日本へと帰国します。

このとき造田博はA子さんと本気で付き合ってたいと妄想のなかにいて、精神状態・健康状態もかなり悪化していたといわれています。

造田博の奇行と事件が起きるまでの時系列

造田博は、1996年11月にはスーパーで万引きをして警察に取り押さえられます。

このとき、一本のナイフが見つかり銃刀法違反で逮捕され罰金10万円を支払うことになります。

更には無賃乗車を繰り返したり、1997年夏頃には、衆議院や裁判所、在日外国大使館や官公庁などにに意味不明の手紙を送ったりと、

1998年の渡米以外にも奇行が目立っていました。

 

手紙の内容については文春が報じていました。

『日本の大部分は小汚い者達です。この小汚い者達は歌舞伎町で、人間でなくなっても、動物でなくなっても、生物でなくなっても、存在しなくなっても、レイプし続け、暴行をし続けると言っています。存在、物質、生物、動物が有する根本の権利、そして基本的人権を剥奪する能力を個人がもつべきです。この小汚い者達には剥奪する必要があります。

 国連のプレジデントに届けて下さい。

 Hiroshi Zota  造田博』

『Breathing OK, は愛情です。

 国連のプレジデントに届けてください。世界中のプレジデントの方々に届けました。国際平和に役立ててください。強力な後押しになります。

 Hiroshi Zota  造田博』

『世界中で見られる、生まれながらの精神障害者、奇形児の方々はすべて、歌舞伎町で会ったことが原因で患者になっています。だから私は日本で生まれることにしました。

 私と関係があるという理由で、この小汚い者達はA子さんという女性を世界中の人達、私の目の前でレイプしようとしています。

 国連のプレジデントに届けて下さい。

 Hiroshi Zota  造田博』

(注:『A子』は実在の人物)

『助けて下さい。造田博にレイプされました。僕の彼女も造田博にレイプされました。造田博が僕の彼女のお腹に子供を作りました。世界中の人たちに助けてもらいます。国際裁判をします。僕達にはどうすればいいのかわかりません。お知えて下さい。国連の親父たちに言ってもらいたい。

 造田○○(注:兄の名前)と彼女』

文春オンライン

 

意味不明な内容で、妄想にとりつかれていたみたいですね。

このような手紙を兄にも送っていたようです。

 

時系列まとめ
・1993年に高校を中退
・1994年~
・働き始めるも、長続きにしない
・転職を繰り返し、各地を転々とする
・お金亡くなり万引きなどの罪を犯す
・社会への不満を募らせるようになる
・1997年に意味不明な手紙を送るようになる
・1998年にA子さんと交際しているという妄想から渡米

 

奇行が目立つようになった造田博ですが、1999年4月25日から足立区の新聞販売店で働くことできました。

店から徒歩5分ほどの場所にアパートを借りて、真面目に働き始めます。

しかし、9月1日に寝坊が原因で遅刻。

連絡手段がなかったため、連絡が取れるようにと上司に勧められて携帯電話を手に入れますが、

携帯電話に無言電話がかかるようになります。

 

造田博は職場で嫌悪していた人物がおり、その人物が造田博の携帯電話に無言電話を掛けてきたと思い込み激怒します。

実際は誰が無言電話をかけたのかは不明ですが、携帯を買ったばかりで番号を職場の人間しか知らなかったため、職場の人が電話を掛けた可能性は高いです。

 

造田博は無言電話に激しい怒りを覚えて眠ることができなくなります。

 

199年9月3日の夜に再び無言電話がかかってきたことに激しい怒りを覚た造田博は、日付が変わった4日午前3時頃に「努力しない人間は生きていてもしかたない」と書き残してアパートを出ます。

 

以降仕事へ行くこともアパートへ戻ることもありませんでした。

遂に造田博の心のなかで何かがプツンと切れてしまったのでしょう。

 

東急ハンズを訪れて包丁やまな板、金槌、ドライバーを購入し、凶行に及ぼうとします。

9月5日~7日の間は犯行に及ぶことに躊躇していましたが、9月8日に決行します。

造田博の事件当日の行動

1999年9月8日11時35分ごろ、豊島区東池袋の東急ハンズ池袋店前で造田博は右手に包丁を持ち左手に金槌を持って「ウオー!むかついた。ぶっ殺す」と叫びながら若い男女を追いかけます。

逃げる2人を追いかけている最中にエスカレーターを上ってきた老夫婦に標的を変え、老夫婦を刺します。

次の標的となったのは若い夫婦。

造田博は妻の方に襲い掛かり、左腰部に包丁を突き刺します。

次に、池袋駅方面に歩いていた高校生達に襲い掛かります。

そして池袋駅前で騒ぎを聞きつけた複数の通行人によって取り押さえられることになります。

 

この事件では6人が重軽傷を負い、2人の女性が亡くなります。

亡くなったのは最初に襲われた老夫婦の妻・住吉和子さん(当時66歳)と、

若い夫婦の妻・高橋真弥さん(当時29歳)です。

 

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造田博の両親と兄の現在

造田博の両親は1993年11月に蒸発して以来、行方が分からなくなっています。

造田博が池袋通り魔殺人事件を起こした後も名乗り出ていません。

造田家が住んでいた自宅は競売にかけられ、1996年に一家とは関係のない家族に買い取られています。

現在も両親の所在は一切不明となっています。

両親の名前や顔画像も明らかになっていません。

造田博の兄についても名前や顔画像は明らかになっておらず、現在どうしているのかは分かっていませでした。

造田博の現在は統合失調症で死刑執行停止?

逮捕された造田博は2002年1月8日に東京地裁で死刑判決を受けます。

この判決を不服として、控訴しますが2003年9月29日の東京高裁で棄却。

上告しますが「白昼、目についた通行人を手当たり次第に襲った犯行の罪質は極めて悪質」とされ、2007年4月29日の最高裁でも棄却され、死刑が確定しました。

 

弁護側は、以下の2点などから「精神分裂病による妄想の影響下にあった」と主張。

・通行人を無差別に襲った動機が不可解
・数年前から衆議院や裁判所などに意味不明の手紙を送っていた

 

しかし、犯行前の対人関係に大きな問題がなかったことや、凶器の購入など合理的な準備をしているとして、「心神喪失か心神耗弱の状態だった」とする弁護側の主張は、退けられました。

 

動機についても、裁判所は「自分のように努力している者が評価されない、との不満を抱いていたところ、無言電話が引き金になり、社会に反発心を募らせて犯行を決意した」と、検察側の主張に沿った認定しました。

 

死刑が確定しましたが、現在も再審請求中ということもあり、刑は執行されていません。※詳しくは後述

現在も死刑囚として服役中ということになります。

造田博の2022年現在の年齢は46歳です。

 

造田博は逮捕・勾留後に友人のひとりに手紙を送っていますが、

 

『造田博教を作りました。(中略)造田博教に入りたい気持ちのある人は、造田博教に入れます。造田博教は何処でも宣教します。宇宙に出ても宣教します。どこでも宣教します。(宇宙に出てもは、人が地球から宇宙に出てもです。)私は造田博教の中で神とか主ではなく宣教者です。(神様の事は神様の事として宣教します。)他の造田博教の教会の人(集まるかどうかはわかりませんが。)も宣教者です。同じ宣教者でも高い人、上の人、偉い人、すごい人、すばらしい人はいます』

このように意味不明なものとなっています。

 

事件についての現在の心境を尋ねられても、「反省しています」とだけ答えるだけで、

基本的1日を何もしゃべらず下を向いて過ごし声を発することはないそうです。

動くのは食事とトイレの時のみで、何故かトイレも流さないそうです。

完全に廃人同然の状態だといわれています。

最高裁で死刑が確定した造田博ですが、2009年に東京地裁に再審請求をしています。

犯行時に統合失調症で心神喪失状態あったと主張し、裁判のやり直しを求めているようですね。

2018年には死刑執行停止の勧告の対象となっていることも判明しています。

死刑執行する際には、心身共に健康であるという条件があるようで、先ほど触れた通り、

造田博は東京拘置所に収監されていますが、ほぼ廃人状態とのこと。

専門家によると、裁判や拘置所での造田博の支離滅裂な言動を見る限り、造田が統合失調症に罹患していた可能性があるとしています。

 

現時点では造田博が本当に統合失調症に罹患していたのかは不明です。

まとめ

造田博の生い立ちや事件についてまとめました。

造田博が事件を起こした理由は、親に捨てられたという境遇や、努力をしても認められることがない社会に嫌気が差したからだと言われています。

彼の生い立ちを考えると、両親にも責任があると思います。

彼の両親がギャンブルにはまらなければ造田博が高校を中退することもなく、普通の人生を歩めていたのかもしれません。

彼に同情する声もありますが、遺族のことを考えると、やはり造田博の身勝手な理由による犯行は許すことはできないと考えられます。

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