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矢野富栄(平岡都さん犯人)の生い立ちと弟と母親の現在【前科】

今回は2009年11月に起きた「島根女子大生殺人事件」についてとりあげます。

島根女子大学生殺人事件とは、2009年11月に広島県の臥龍山で島根県立大1年平岡都さん(当時19歳)の遺体が見つかった事件のことです。

犯人は平岡都さんが遺体となって発見された2日後に交通事故で死亡した会社員の矢野富栄(当時33歳)です。

いったいどのような人物だったのでしょうか?

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矢野富栄(平岡都さん犯人)の生い立ちと前科

矢野富栄は1976年4月生まれの山口県下関市神田町出身。

父、母、弟の4人家族でした。

 

矢野富栄の学歴は、地元の小中学校から九州地方の高校、大学へ進学しています。

中学時代は陸上部に所属し、中長距離が専門。

高校卒業後は大学に進学しますが、バンド活動にのめり込んでしまい、大学を中退しています。

 

 

当時の矢野は「dr.よしゆき」というハンドルネームでミクシィを利用していました。

 

その後、バンド仲間と仲が悪くなり解散。

矢野富栄は上京して音楽活動を続けますが、持病によりバンド活動をあきらめます。

 

矢野富栄には前科があり、

28歳だった2004年8月に3件の強制わいせつ事件の容疑で逮捕され、懲役3年6月の実刑判決を受けて服役しています。

 

犯行内容は3件とも酷似しており、路上で女性を刃物で脅し、わいせつ行為に及んだというものでした。

 

 

出所後の2009年5月から矢野富栄は、島根県益田市に住み、浜田市内に本部のあるソーラーパネル会社で働きます。

 

営業を担当しており、成績は優秀で勤務態度も非常にまじめだったそうですが、再び事件を起こしてしまい、平岡都さんを死なせてしまいます。

 

平岡さんの遺体は2009年11月6日に発見されましたが、その2日後の11月8日に矢野は交通事故で死亡しているため、動機などの解明には至っていません。

弟と母親の現在

矢野富栄が2009年11月8日に事故死したときに母親も一緒に亡くなっています。

 

警察は遺体発見に動揺した矢野が、母親を巻き込んで自殺したとみています。

父親は矢野が事件を起こす前年に亡くなっています。

そのため、矢野の家族は現在弟さんのみ生存しています。

 

弟さんは、矢野富栄が事故死した2年後の2011年に美容院をオープンさせています。

 

夫婦でお店を経営していたそうですが、島根女子大生殺人事件の犯人が兄の矢野富栄である報道されてから1~2週間後に「一身上の都合で閉店することになりました」と張り紙をして閉店。

その後の消息は不明となっています。

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平岡都さんのプロフィール

被害者の平岡都さんは、香川県坂出市出身。

2009年春に県立高松商業高校を卒業し、島根県立大に入学。

入学後は女子寮で暮らし、発展途上国を支援するサークルに所属。

大学に通いながら浜田市内のショッピングセンター「イズミゆめタウン浜田」でアルバイトをしていました。

平岡都さんのは大学の授業を休むことがほとんどなく、アルバイト先の勤務態度も真面目でした。

ただ、アルバイト先からの帰り道について「夜道が気味悪い」と周囲に漏らしており、バスで帰宅できるJR浜田駅前の居酒屋にアルバイトの場所を変える矢先に事件に巻き込まれてしまいました。

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