1月27日放送の『奇跡体験!アンビリバボー』で、2019年に起きた三島バイク死亡事故が取り上げられます。
静岡県三島市の交差点で原付バイクが乗用車が衝突し、バイクに乗っていた仲澤勝美さんが亡くなります。
1/27 20:00〜
フジテレビ「アンビリバボー」で
父の事故のことを再現VTRにして放送される予定です。
お時間あれば見ていただけると幸いです。
何卒よろしくお願いいたします!https://t.co/BjG4HPqPBz#三島バイク死亡事故 #三島市萩バイク死亡事故 #死人に口なし #冤罪事件 pic.twitter.com/x74yAKHUDm— 三島死亡事故遺族 (@anly318) January 20, 2022
どのような事故だったのかをまとめていきます。
仲澤勝美さんが事故で亡くなる
2019年1月22日午後6時15分ごろ、
静岡県三島市萩の市道交差点で、渡辺さつきが運転する乗用車が、赤信号を無視して時速約50キロで交差点内に進入。
右方から青信号で走行して来た会社員・仲澤勝美さん(当時50)の原付スクーターに衝突。
仲澤さんは大動脈損傷で亡くなります。
これが事故の真相で、加害者は渡辺さつきだったわけです。
しかし、渡辺さつきは事故直後、自身の側の信号は青で、仲澤さんが対向車線を無理矢理右折してきたと供述。
警察も渡辺さつきの供述を鵜呑みにして遺族に、
交差点を右折しようとした仲澤さんと直進しようとした車が衝突したと説明します。
この説明に遺族は納得できずに、真相を明らかにすべく立ち上がります。
2019年、静岡県三島市の交差点で原付バイクが乗用車と激突、会社員の仲澤勝美さんが亡くなった。乗用車を運転していた女性の話を聞いた警察官によると、大通りを走行中、乗用車は交差点の信号が青だったため直進したのだが、反対車線から勝美さんが運転するバイクが右折。避けきれずに衝突したのだという。しかし、遺族はこの話が信じられなかった。なぜなら、勝美さんは通勤・帰宅の際、この大通りを使っておらず、大通りを交差する道を直進するルートを使っていたからだ。このままでは大切な家族が悪者にされてしまう。そう思った遺族は、自らの手で、真実を明らかにすることを決めたのだ。
仲澤勝美さんの遺族の活動で真実が明らかに
静岡県三島市荻 交通死亡事故 https://t.co/9ElCcpZGaP @YouTubeより‼️[永久保存News]
2019年1月22日(火)夕方6:13頃静岡県三島市荻109付近で、仲澤勝美さんが、交通事故に合いました‼️裁判での出来事、心ない態度、ご家族が戦ってます‼️これからも応援して行こうと思います‼️#三島市荻死亡事故 pic.twitter.com/6D6Wvn8x7E— 🥀姫猫🥀 (@GIBvmZuafnFPc6k) June 22, 2021
仲澤勝美さん腕のいい溶接技術者で、妻と4人のお子さんがいました。家族想いで仕事が終わると寄り道せずに家族の待つ家に帰宅していました。
妻:和枝さん
長男:勇梨さん
長女:杏梨さん
次女:マリンさん
三女:名前不明
警察の交差点を右折しようとした仲澤さんと直進しようとした車が衝突したという説明に遺族は納得できませんでした。
なぜなら、仲澤勝美さんは生前、「大通りは怖いので、通行量が少ない裏道を通る」と帰宅ルートを家族に話していたからです。
長女の杏梨さんは、
『父は慎重だし、ずっとゴールド免許。危険な運転はしないと、みんなわかっていました。』
と話し、父が自宅に帰るために、裏道を直進したはずだと信じていました。
遺族は仲澤勝美さんが上記の図のルートを通ったと信じて行動を起こします。
事故の翌日の1月23日からツイッターで目撃情報を募り、チラシや新聞折り込みを合わせて約7万枚作り、事故現場の近くで配ります。
「乗用車が赤だった」などの有力証言を得て、事故発生からの9日後に三島署は過失運転致死の疑いで渡辺さつきを逮捕します。
遺族の行動が実を結んだというわけです。
遺族が考えた通り、裏道を直進した仲澤勝美さんと、大通りから信号を無視して交差点に進入した渡辺さつきの車が衝突したと警察は判断します。
渡辺さつき(加害者)の顔画像や夫
逮捕された渡辺さつきですが、顔画像は公表されていないようです。
事故当時の2019年は沼津市大岡の会社員で、年齢は46歳だったと報じられています。
顔画像は不明でしたが公判の様子では、
と報じられていました。
また、2020年11月30日の公判で情状証人として渡辺さつき被告の夫が出廷し、尋問が行われました。
そこでは、裁判長が渡辺さつき被告の夫を2分間説教するという異例の展開となりました。
夫は遺族側の弁護士が制止したにも関わらず、遺族へ謝罪しましたが、
こうした行動について、菱田泰信裁判長が「自己満足で謝罪するではなく、自分の態度を遺族がどう見るか。そういう意味で、きょうのあなたの態度は違うのではないかと感じる部分があった」などと、およそ2分間、証人に対し説教する異例の展開となりました。
渡辺さつきは結婚して夫がいたことが確認されていますが、どうやら娘さんもいたみたいです。ただ、娘についていの詳しい情報はありませんでした。
渡辺さつきの家族のSNSの書き込みも公開されています。
渡辺さつきのSNS(facebook インスタ ツイッター)も確認されていないため、渡辺さつきと夫や娘の顔画像・写真などは不明となっています。
渡辺さつきの裁判の判決と現在
渡辺さつきは2019年1月31日に過失運転致死の疑いで逮捕され、
2020年2月22日に過失運転致死で起訴されます。
同年5月28日に初公判となり、渡辺さつきは『青信号を確認した』と起訴内容を否認。自分の車のカーナビの走行記録の解析を求めます。
同年10月22日に第2回公判。渡辺さつきは『カーナビの記録で私が赤信号だと分かった』と起訴内容を認めます。
2021年1月21日に第4回公判。渡辺さつきは『(自分の)家族のために執行猶予をいただきたい』と求める
同年2月15日に論告求刑公判。検察側が禁固3年を求刑。弁護側は執行猶予付き判決を求める
以上のように渡辺さつきは、当初起訴内容を否認していましたが、
自分の車のカーナビの映像から、信号無視が明らかになってからは起訴内容を認めます。
しかし、今度は執行猶予を求めます。
信号無視については「青と見間違えた。なぜ間違えたかは分からない」などと繰り返し、自身の保身しか考えていないような供述を続けます。
遺族は当然、執行猶予をつけず被告の実刑を望みますが、
2021年3月15日の判決公判で菱田泰信裁判長は禁錮三年、執行猶予五年(求刑禁錮三年)の判決を言い渡しました。
遺族は悔しさを滲ませますが、
閉廷後の静岡地裁沼津支部に遺族の泣き声が響いた。被告は事故直後、仲沢さんが無理やり右折したと主張。遺族は会員制交流サイト(SNS)や新聞折り込みで目撃者を捜し、主張を覆した。だが判決は実刑ではなかった。長女杏梨さん(28)は会見で「悔しくて納得いかない。ようやくここまで来たのに。気持ちをくんでもらえなかった」と目を腫らした。
長男勇梨さん(26)も「私たちの活動を見て頑張ろうと思った(交通事故の)被害者にも悪い例になってしまったように思う」と語った。
ただ高橋正人弁護士は「遺族はよくここまで頑張った。被告の主張をひっくり返したのは、三島署でも検察でもない」とたたえた。一方、三島署が捜査で被告の携帯電話を押収し運転中の操作の有無などを確認しなかったことに「これをしないのは全国で三島署だけ」と批判。裁判所に対しても「遺族の頑張りで公判が実現したことを見逃している」と怒りをにじませた。
杏梨さんは「署は事故直後、被告の言い分をうのみにし、父を加害者と決め付けた。遺族が声を上げ、ひっくり返した。声を上げなかったらどうなっていましたかと問いたい」と話した。遺族は静岡地検沼津支部に「控訴してほしい」と伝えた。
渡辺さつきは執行猶予付きの判決で確定します。
渡辺さつきの現在については不明でしたが、
現在、民事訴訟の手続きをしています。
渡邉さつき元被告は父を死亡させる事故の前年、
平成30年2月5日にも人身事故を起こしています。
被害に合われた方がいらっしゃいましたらお話しを伺いたいと思っています。見た、聞いたなど些細な情報でも構いません。
ご協力をよろしくお願いいたします。— 三島死亡事故遺族 (@anly318) April 6, 2021
遺族は民事裁判の手続きをしていると2021年4月にツイートしています。
遺族の苦しみ
仲澤勝美さんが亡くなった三島バイク死亡事故は、遺族が行動しなければ、事故の真相が明らかにならなかったと言われています。
しかし、当初仲澤勝美さんが悪いとされたことにより、仲澤さん一家は父親を失っただけでなく深刻な二次被害、三次被害を経験しています。
・保険会社の対応
・ネット上でのいわれのない中傷
※後に初動捜査をミスした静岡県警は遺族に謝罪しています。
事故直後に加害者側が加入していたJA共済(自動車保険)からは、『車が直進している時に仲澤様が対向車線を右折してきて衝突したのですから、仮渡金などの対応は不可能です』と言われ、一切対応してもらえなかったそうです。
事故から3年経った今も損害賠償に関してはほとんど手付かずで、最近になってようやく自賠責保険が支払われたという状況とのこと。
また、仲澤勝美さんが被害者であることが明らかになっても、起訴までに1年以上かかっています。
なかなか刑事裁判が始まらなかったことは家族にとって精神的にも辛かったそうです。
そして、裁判の結果が懲役3年執行猶予5年という判決だったいうのは納得できるものではありませんでしたが、
長女の杏梨さんは『父の名誉は守ることができたと思っています』と話しています。
Youtubeには三島市死亡事故についてのドキュメンタリー動画が投稿されています。
是非ご覧になって下さい。