数々のヒット曲を生み出した作曲家の筒美京平さんが亡くなられたことが分かりました。
筒美京平の妻や子供!息子はゼンタ
【速報 JUST IN 】筒美京平さん死去 80歳 昭和歌謡を代表する作曲家 #nhk_news https://t.co/e0c7NwdIT4
— NHKニュース (@nhk_news) October 12, 2020
筒美京平(つつみ きょうへい)
本名:渡辺栄吉(わたなべ えいきち)
生年月日:1940年5月28日 80歳
出身地:東京都新宿区
学歴:青山学院大学経済学部
幼稚園のころからピアノを弾き始め、青山学院初等部、中等部・高等部を経て青山学院大学経済学部を卒業。
大学卒業後、日本グラモフォンに入社し、洋楽担当ディレクターとして勤務。
大学の先輩である作詞家の橋本淳に勧められ作曲を学ぶことになります。
洋楽担当ディレクターとして働きながら、作曲家すぎやまこういちさんに師事し作曲を学ぶようになります。
そして1966年に、「黄色いレモン」で作曲家としてデビュー。
2003年には紫綬褒章を受章されました。
後日、筒美先生のご自宅にお礼の電話をした時に、奥様しかいらっしゃらなかったんですけど、「すごく楽しかった」って言ってらしたようなので、まあ、喜んで下さったのかなと…。でも、アルバムの1曲1曲の細かい感想も、また今度お会いした時に聞いてみたいなって思っています。
結婚して奥様がいらっしゃいます。しかし、奥様の名前などプライベートな情報は一切なく、一般人のようです。いつ頃結婚したのかも不明です
奥様との間には「ゼンタ」という名前の息子さんがいます。
ブルー・ライト・ヨコハマに出てくる「ゼンタ」という歌詞は筒美京平さんの息子さんの名前であると明かしています。
ブルー・ライト・ヨコハマは1968年(筒美京平さんが28歳)に発表された曲なので結婚はそれ以前になると思われます。
筒美京平のヒット曲・年収・資産
また逢う日まで 尾崎紀世彦
ロマンス 岩崎宏美
スニーカーぶる〜す 近藤真彦
ギンギラギンにさりげなく 近藤真彦
人魚 NOKKO
やめないで,PURE KinKi Kids
ロマンス 岩崎宏美
ブルー・ライト・ヨコハマ いしだあゆみ
昭和から平成にかけ多くのヒット曲を生み出しました。
アイドル、俳優、声優など様々な人に楽曲を提供していました。
作曲作品の総売上枚数は7,560.2万枚(オリコン)で、作曲家歴代1位です。
歴代作曲印税ランキングでも堂々の1位に君臨、あの小室哲哉さん(2位)よりも上です
小室さんの全盛期の年収は20億円といわれています。
小室さんよりも筒美さんの方がキャリアが上、歴代作曲印税ランキングも上なので、年収・総資産は筒美さんの方が多いと思われます。
筒美さんも全盛期には小室さんの20億円よりも上だったでしょう。
弟は渡辺忠孝
筒美京平さんには弟の音楽プロデューサー渡辺忠孝さんがいます。
【物足りないのは当然のこと、ですよネ?😎】
今夜24:00~ FMおだわら『午前0時の歌謡祭』
「特集/#筒美京平 作曲活動50周年(後篇)」
〈ゲスト〉渡辺忠孝〔音楽プロデューサー〕
※インターネットサイマルラジオで聴取可能#0時歌謡 pic.twitter.com/pr3WjFP8w1— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) February 25, 2018
まとめ
活動期間が1963年~2020年と生涯にわたり作曲を手掛け、多くのヒット曲を生み出しました。
まさに天才作曲家、皆さんも必ず1つは筒美さんの曲を聞いたことがあると思います。
筒美京平さんのご冥福をお祈り申し上げます。
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