アーノルト・ファンデンベルフ(ユダヤ公証人)の死因wikiと特定の経緯【アンネの隠れ家】

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アンネの隠れ家の密告者が77年越しに特定されたことが話題になっています。

ユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)が密告者の可能性が高いということです。

いったいどのような人物なのでしょうか?

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アーノルト・ファンデンベルフ(ユダヤ公証人)とは?死因やwiki経歴・顔画像

アンネ一家の隠れ家を密告したとされるのはユダヤ人公証人アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)。

報道では「比較的無名」とされていますが、

裏切者(密告者)の容疑者候補リスト30名のなかに以前から名前が載っていた人物だったみたいです。

名前の読みはアーノルド・ヴァンデンバーグや、アルノルトとも読まれるみたいです。

アーノルト・ファンデンベルフの生没年は1886-1950。

死因は咽頭がんで64歳で亡くなっています。

アーノルト・ファンデンベルフの顔画像ですが、海外メディアでも確認はできませんでした。顔写真が残っていない可能性もありますが、見つかれば追記します。

※追記 顔画像が確認できました。

こちらがアーノルト・ファンデンベルフの顔写真です。

どうやら子供がいたみたいですが、現在子孫がどうなっているのかは不明となっているようです。有名な実業家でもあったみたいです。

 

ファンデンベルフは、ナチスがユダヤ人をオランダから追放するために設立させた組織「ユダヤ人評議会(Jewish Council)」の創設メンバー。

 

調査チームによると、アーノルト・ファンデンベルフの名前が書かれた匿名の文章が見つかります。

 

この文章からファンデンベルフは、アムステルダムの戦時中のユダヤ人評議会のメンバーとしてユダヤ人が隠れていた住所を知ることができ、住所のリストをナチスに渡して自分の家族を救ったということが明らかになったとのこと。

 

ファンデンベルフは、ユダヤ人から略奪された美術品コレクションがドイツの美術商からナチス幹部のヘルマン・ゲーリングに売却される際の公証人を務めていたことから、隠れ家を密告する機会があったとみられています。

 

また、ファンデンベルフは家族の移送を免除されていましたが、1944年8月にアンネの隠れ家が警察に見つかった同時期に免除が取り消されていたことが判明。

 

以上の事から、ファンデンベルフが自身の家族を守るためにフランク家を裏切ったのではないかとの疑惑が生じます。

 

Coldcaseteam wijst verrader Anne Frank aan: notaris Arnold van den Bergh (1886-1950)
Wie verraadde Anne Frank? Een team van politiemensen en andere experts is nog eens door al het bewijsmateriaal gegaan en wijst een Amsterdamse nota...
The Betrayal Of Anne Frank | Suspect Identified Was Jewish Notary | STESS News
The Betrayal Of Anne Frank | The Suspect Identified Was Jewish Notary Arnold van den Bergh, whom died in 1950.

 

海外メディアの記事を参照したので、訳が間違っていたら申し訳ありません。

 

海外メディアではアーノルト・ファンデンベルフに対する証拠(文章)は決定的なものではないと強調。

アーノルト・ファンデンベルフが密告者だったというのは可能性の話です。

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アンネの隠れ家と特定の経緯について

アンネ・フランクは1929年6月12日にドイツのフランクフルトに生まれたユダヤ系ドイツ人です。

当時ドイツに広まっていた反ユダヤ感情からアンネの両親オットーとエーディトはアムステルダムに移住します。

1939年9月1日、アンネが10歳の時、ナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まります。

1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻。

オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日にアンネ一家は隠れ家での生活に入ることを余儀なくされます。

アンネは隠れ家での生活に入る前の13歳の誕生日に日記をプレゼントされていました。

アンネは隠れ家で生活した2年の間、隠れ家での出来事やアンネが感じたことや考えたことを日記に書きます。

1944年8月4日にアンネと隠れ家の住人は警察(ゲシュタポ)に発見され逮捕。アンネの最後の日記は逮捕される3日前の8月1日でした。

 

隠れ家で暮らしていた8人のユダヤ人のうち、生きて終戦を迎えられたのはアンネの父親オットーだけでした。

アンネを含む他の7人は強制収容所の劣悪な環境により、亡くなります。

アンネの死因は発疹チフスです。亡くなったのは1945年3月上旬頃とされ、15歳でした。

生き残ったアンネの父のオットーが1947年にアンネの日記を出版します。

その後、オットーはオランダ警察に一家を裏切った人物(密告者)を突き止めるように要請します。

オットーは、倉庫の作業員が密告したのではないかと疑いますが、捜査でも結論は出ていないとされていましたが、

1964年にオットーは警察に対し、自分の家族や他の人々を裏切った者としてファンデンベルフを名指しする文書を、戦後間もない時期に受け取っていたと話していました。

調査チームが、オットーが作成したこの文書の写しを、警察の資料の中から新たに発見し、密告者の特定に至りました。

密告者の調査歴

アーノルト・ファンデンベルフにより隠れ家が見つかったということですが、あくませ可能性の話です。

ただ、名指しで密告者とされる人物を公表したこということは、密告者の可能性が非常に高いということになるでしょうね。

これまでの密告者の調査歴ですが、

オランダ警察は戦後、オットーの要請を受け、フランク一家を裏切った人物(密告者)を突き止める捜査に着手。

オットーは、倉庫の作業員が密告したのではないかと疑いますが、捜査でも結論は出ませんでした。

アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスは2016年に、隠れ家は情報提供に基づいて捜索されたのではなく、警察(ゲシュタポ)によって偶然発見された可能性があるという調査結果を公表。

この公表に対し、2017年にFBIの元捜査員率いるチームがフランク一家を裏切った可能性が指摘されてきた「容疑者」30人全員について調査すると発表。

アンネの日記や当時の記録からも情報を収集し、専用ソフトウェアでデータをスキャンして容疑者を絞り込む。調査チームは捜査員のほかデータ分析やプロファイルの専門家、歴史家、犯罪学者などで構成。一般からも情報を募り、俳優を使って過去の目撃証言や容疑者の発言を再現してもらう。

 

最新技術や俳優さんまで協力してもらい調査に乗り出します。

そして、2022年1月17日にアーノルト・ファンデンベルフが密告者の可能性が高いと発表。

調査チームを率いたのはかつてFBIでコロンビアの麻薬犯罪組織を追っていたビンス・パンコーク氏と報じられています。

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