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高橋裕子(白雪姫)の現在と判決|スナックママ保険金殺人【顔画像】

3月22日の仰天ニュースでは「白雪姫」と呼ばれるほど、育ちが良くお嬢様だった高橋裕子が起こした事件が取り上げられます。

 

高橋裕子が起こした事件は世間では『福岡スナックママ連続保険金殺人事件』と呼ばれています。

高橋裕子には3回の結婚歴がありますが、3人の内2人の夫が不審な死を遂げていました。

 

高橋裕子という人物、そして彼女が起こした事件はどのようなものだったのでしょうか?

まとめていきたいと思います。

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高橋裕子の若い頃は白雪姫と呼ばれる

2004年7月に博多・中洲の元スナックママ・高橋裕子が元夫2人を保険金目当てで殺害した容疑で逮捕されました。

逮捕当時、高橋裕子は48歳でした。

 


こちらはスナックママだった頃の高橋裕子の画像です(2000年当時43歳)。

 

たしかに美人ではありますが、白雪姫と呼ばれるほどのことかと思ってしまいますね。

どうやら高橋裕子が白雪姫と呼ばれてたいのは若い頃だったみたいですね。

 

高橋裕子は東京の音大を卒業しており、ピアノ教室を開いていた時期があります。

こちらはピアノ教室の生徒との記念写真です(当時29歳)

美人ですね~

 


こちらは音大時代の画像となります。

お嬢様育ちで歌も上手く、男性からはかなりモテたそうですが、その本性は・・・

 

高橋裕子の現在と判決

高橋裕子は2004年に逮捕されています。

詳しい事件の内容や高橋裕子の生い立ちは後述しますが、

2件の恐喝と2件の殺人、さらに殺人によって死亡保険金を騙し取った3件の詐欺と1件の詐欺未遂で起訴されました。

 

逮捕当時はスナックのママとして働いていました。

 

起訴状によると、

1994年10月、高橋裕子は長男の家庭教師だった井手健一被告と共謀し、保険金目当てに、2番目の夫で建築設計会社経営の野本雄司さん(当時34歳)を刺殺。

そして、2000年11月、3番目の夫で元不動産会社社員の高橋隆之さん(当時54歳)を自宅の浴槽に沈めて水死させ、保険金2740万円をだまし取るなどしました。

 

高橋裕子は家庭教師だった井手健一と共に残虐な犯行に及びました。

 

2007年に福岡地裁は高橋裕子に無期懲役、井手健一に殺人幇助罪で懲役3年6月の判決を下します。

しかし、2008年に十分な証拠がないとして、井手健一に逆転無罪の判決が下されます。

2011年に高橋裕子の無期懲役が確定し、現在は服役中です。

無期懲役なので、出所は2040年頃になりますね。

2022年現在の年齢は66歳前後となります。

 

井手健一の顔画像や現在については不明でした。

高橋裕子がスナックママ保険金殺人事件を起こすまで

高橋裕子は1955年に福岡県志免町の靴屋を営む両親のもとに生まれます。

両親は地主でもあり、裕福な生活を送ります。

教育熱心でもある母の元で育てられ、小学校からピアノを習い、中高一貫のミッションスクールへ進学。

近所でも美人で評判だったようです。

確かに美人ですね~

近所からは『白雪姫』と呼ばれ、有名なお嬢様として知られていたそうです。

教育熱心な母親に育てられ幼少期から音楽のレッスンを受けます。

 

高校生になると、月に何度か東京へピアノのレッスンに通う生活を送ります。

高校卒業後には武蔵野音楽大学に進学し、声楽科で学びます。

 

大学2年の時に銀座でのダンスパーティに参加して、

最初の夫となる男性と出会います。

最初の夫は高橋裕子の1歳年上で、慶應義塾大学商学部の学生でした。

2人はすぐに交際を始めて大学を卒業して1年後の1979年に結婚に至ります。

 

福島県郡山市にある夫の実家の近くで新婚生活がスタートします。

ここまでは順風満帆な人生を送っていた高橋裕子ですが、ここから徐々に歯車が狂い始めていきます。

結婚してから1年後には長女が誕生するが、姑はじめ親戚らの干渉に嫌気がさし、

結婚から2年後、高橋裕子は夫に包丁を突きつけ「この結婚は失敗だった」と福岡に帰ります。

夫も仕方なく、高橋裕子の後を追い、福岡で暮らすことになりますが、慣れない土地での暮らしで生活が荒れてしまいます。

夫はギャンブルにのめり込み、借金が膨れ上がります。

夫の借金が原因となって1985年に離婚に至りました。

高橋裕子は離婚後にピアノ教室を開いて生計を立てます。

 

高橋裕子はこの最初の夫の件で男性不振になり、金に異常な執着を持ち、生活も派手になっていきます。

そして恐ろしい事件を起こします。

最初の被害者:野本雄司さんと結婚

高橋裕子は最初の夫と離婚してから、1987年に野本雄司さんと再婚します。

野本雄司さんは高橋裕子の4歳年下で、住宅販売メーカーに勤務。

この結婚は高橋裕子の略奪婚だったといわれおり、野本雄司さんには前の奥さんとの連れ子がいたみたいです。

 

一級建築士の資格を取得した雄司さんは会社から独立し、建築設計事務所を立ち上げます。

ピアノ教室を開いていた高橋裕子は社長夫人になるということで、

教室を畳んで、志免町の北部に建てた3階建の豪邸に引っ越します。

1992年には2人の間に女児が生まれ、3年後には長男も誕生。

2度目の結婚生活は順調でしたが、バブル崩壊によって雄司さんの会社は1億の負債を抱えてしまいます。

 

サラ金業者から身を隠しながら生活を送る中、高橋裕子はスナックで働き始めます。

しかし、生活レベルを落とすことのできない裕子は、

「あんたが死ねば借金を返せる(保険金)」

と雄司さんを激しく責めます。

雄司さんは思いつめ、2度も車に排気ガスを引き込み自殺を図ります。

死にきれませんでしたが、それでも裕子は責め続けます。

何としても借金を返済したい高橋裕子は当時、子供の家庭教師だった九州大学院生の井手健一に夫の殺害をもちかけます。

1994年10月22日に高橋裕子は夫にウイスキーと睡眠導入剤を渡し眠らせます。

夫が眠りについたのを確認して、包丁で割腹自殺に見せかけて殺害します。

自殺にみせかけるために殺害現場には借用書をばらまきます。

雄司さんが過去に自殺を図っていたことや、遺書とみられるメモが残っていたことから警察は自殺と判断しました。

 

後に、高橋裕子と井手健一は共謀して野本雄司さんを殺害したとして逮捕されることになりますが、裁判では井手健一は証拠不十分で無罪となります。

2人目の被害者:高橋隆之さんと結婚

2人目の夫・野本雄司さんを自殺に見せかけて殺害することに成功した高橋裕子は保険金2億1千万を手に入れました。

1995年に高橋裕子は福岡市中洲でスナック「フリージア」をオープン。

1999年6月にスナック店の常連だった高橋隆之さんと3回目の結婚。

結婚1ヵ月後に高橋隆之さんに対して 生命保険をかけます。

スナックの経営も隆之さんの仕事も不調で派手な生活を送っていたこともあり、再び生活が困窮します。

2000年11月12日の深夜に高橋隆之さんを浴室で溺死に見せかけて殺害。

高橋隆之さんは事故死として処理されましたが、契約していた保険金支払いに関しては、隆之さんに糖尿病があったことを隠して保険に加入していたらしく、告知義務違反で保険金は2700万円しか支払われませんでした。

これを不服とした高橋裕子は保険会社を相手取り8000万円の支払いの提訴。

また、隆之さん殺害後に偶然再会した知人男性と共謀して,スナックの男性客を狙った脅迫を行うようになります。

2004年に脅迫容疑などの罪で逮捕され、福岡県警は2人の夫の死亡と保険金のことで、高橋裕子を疑っており、その後保険金殺人についても検挙されました。

高橋裕子はおそろしい女だったというわけですね。

高橋裕子の派手な生活

2人もの夫を殺害した高橋裕子ですが、実は結婚生活中に何度の別の男性と関係を持っていました。

不倫をしていたということになります。

高橋裕子は多くの男性と体の関係を持ち、スナック経営に行き詰まったときには、

自分と肉体関係があった客にカネを貢がせます。

「あなたの子供を堕ろしたことで、心と体に傷を負った」と、恐喝を繰り返してお金を手に入れていたようです。

 

高橋裕子の最初の夫は事件後にフライデーの取材に次のように答えています。

 

「(裕子は)芸能人になりたかった、というだけあって見た目は華やか、でも性格は上品で控え目なお嬢さんでした。しかし、結婚して3カ月くらいで本当の姿を見せ始めました。気が強く、こっちが“一”言うと“百”返ってくる。ときには手も出ました。結婚生活6年間で東京、福岡など6回も引っ越しましたが、すべて彼女が原因。『親との同居はいや』『部屋が狭い、向きがよくない』とか不満を言い、そのつど転居でした」

お嬢様育ちでしたが、元々気が強く、最初の夫との離婚後に金に執着するようになり破滅してしまったということになりますね。

芸能人になりたかったということは”わがまま気質”だったかもしれません。

逮捕直前まで男性との逢瀬を繰り返し、趣味のパチンコに通い続けていたということです。

 

高橋裕子のwiki経歴まとめ

1955年:福岡県・志免町の裕福な靴製造販売会社社長の娘として生まれる。

1979年:大学2年生のときににパーティで知り合った資産家の息子と結婚するが、夫はギャンブルによって多額の借金をつくる。

1985年10月:夫と離婚。故郷へ戻りピアノ教室を始める。

1987年:建築士の野本雄司さんと再婚。

1994年:長男の家庭教師だったI大学院生と共謀し、夫に睡眠薬入りの酒を飲ませて眠らせたところを、包丁で割腹自殺に見せかけて殺害。 殺害現場に借用書をばらまくなどして偽装工作。自殺とされて保険金2億1000万円を手に入れる。

1995年:中州にスナック「フリージア」を開店。

1999年:スナック店の常連だった高橋隆之さんと3回目の結婚。

2000年:高橋隆之さんに対して2000万円の保険金をかける。10月にも8000万円と3000万円の個別の保険をかける。

2000年11月:高橋隆之さんを風呂場で溺死に見せかけて殺害。事故死として処理される。

その後、知人男性と共謀して脅迫行為を続ける。

2004年7月:不倫相手の男性から100万円を脅し取ったとして、7月22日、脅迫容疑などにより福岡県警によって逮捕。過去2件の夫殺しも露見。

2007年:福岡地裁、高橋裕子に無期懲役、共犯容疑者に殺人幇助罪で懲役3年6月(求刑12年)。

2008年: 福岡高裁、共犯容疑者、逆転無罪判決、上告せず確定。

2008年: 福岡高裁、高橋裕子の控訴を棄却。

2011年:最高裁、上告を棄却、無期懲役が確定。

 

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