今回は料理研究家の高木ゑみさんについて取り上げます。
高木ゑみさんは2021年3月28日に肺がんにより亡くなられました。
享年35歳。
8月8日放送『ザ・ノンフィクション』で生前の高木ゑみさんが特集されます。
「私が病気と闘う姿を記録してほしい」…
2020年冬、私たちが出会ったのは、料理研究家の高木ゑみさん(35)。8歳の一人息子と2人で暮らすシングルマザーだ。
どうやら生前の記録を残して欲しいということで番組が密着されたみたいです。
そこで今回は『高木ゑみの旦那や息子の学校|肺がんの原因や経緯|実家がスゴイ【画像】』についてまとめていきます。
高木ゑみの旦那
この投稿をInstagramで見る
高木ゑみ(本名)さんは1985年12月4日生まれ、東京都出身の料理研究家です。
高木ゑみさんは8歳の息子を持つシングルマザーでもありました。
高木ゑみさんは2011年1月に10歳年上の男性と結婚しています。
ゑみさんが26歳で旦那さんが36歳のときに結婚したことになります。
旦那さん一般人のため、名前や顔画像は不明です。
結婚してから4カ月後の2011年5月に旦那さんが仕事の都合で、
トルコ・イスタンブールに赴任します。
結婚後すぐに別居生活となりますが、2012年に高木ゑみさんもイスタンブールの旦那さんのもとへ行き、一緒に暮らすことになります。
トルコ料理や文化を学び、料理研究家として経験を積みます。
そして
2012年8月には第一子となる長男をトルコで出産しています。
約1年半のトルコ生活を終え、2013年に帰国します。
帰国後は、これまでの経験を活かし、料理教室を本格的にスタートさせます。
家庭と仕事を両立して、順調に人生を歩んできましたが、2017年6月に旦那さんと離婚しています。
離婚理由は価値観の相違で、円満離婚だったそうです。
離婚後、再婚したという情報はありませんでしたが、高木ゑみさんはお付き合いしている男性がいたみたいです。
私の尊敬する人生の先輩から素敵なご縁をいただき、ある男性と出会いました。
彼は東京出身ですが、彼のお父様が沖縄出身であることとと、ベースとなる仕事の関係により、沖縄に住んでおりました。お母様やお姉様が実家の近くに住んでいる事もあり、家族ぐるみで仲良くさせていただき、彼ともすぐに意気投合、良きパートナーとし、お付き合いをしております。
高木ゑみさんも2018年3月30日から沖縄に移住し、お店もオープンしていました。
高木ゑみの息子の学校
この投稿をInstagramで見る
高木ゑみさんの息子さんは現在8歳の小学生です。
名前は不明ですが、息子さんが生まれる前は、海外で通用する普通の日本男子の名前がいいとブログでコメントしていました。
※追記 息子さんの名前が判明しました。
蔵人くんという名前です。
息子さんの学校ですがどこに通っているかは不明です。
幼稚園は沖縄の幼稚園に通っていたみたいですが、現在、高木ゑみさんが亡くなってから、どこの小学校に通っているかは不明です。
肺がんの原因や経緯
高木ゑみさんがステージ4肺がんと告知されたのは2020年10月です。
もともと疲れが肩こりや腰に表れるタイプでしたが、腰痛が酷くなり、整形外科で診てもらいますが、一向に症状がよくならず、内科のクリニックを受診。
レントゲンをレントゲンを撮ると、先生の顔色が変わります。
高木ゑみさんが分かるほどの肺に大きな影が映っていました。
素人目でも肺にあってはいけないものと分かったそうです。
さらに検査を続けると、肺がんと判明。
がんは頸椎、胸椎、背骨、リンパ節、腎臓、脚、脳と全身に転移していました。
高木ゑみさんはタバコを吸っておらず、なぜ肺がんになるんだ、どうして気づかなかったんだと落ち込みます。
しかし、すぐに息子の事を考えて絶対に治さなくてはいけないと思い、治療に取り組みます。
闘病の様子は自身のインスタなどで闘病の様子を発信します。
この投稿をInstagramで見る
この投稿をInstagramで見る
がんの治療を行いながら、オンラインで料理教室も開き、前向きに闘病生活を送っていました。
治療の甲斐あってか、がんの影もCT上では薄くなり一時退院もしますが、3月24日も急激に体調が悪化。
再入院しますが、3月28日に亡くなります。
享年35でした。
肺がんの原因は不明ですが、肺がんの半分くらいの種類が喫煙は関係ないと言われています。
じつは肺がんには、喫煙の影響が非常に大きいタイプ(扁平上皮がんなど)と、影響はあるもののそれほど大きくないタイプ(肺腺がんなど)とがあります。
高木さんの肺がんの種類が不明なので原因は一概に言えませんが、最近の研究では「女性ホルモン」肺腺がんのリスクを高める要因の1つと言われています。
実家がスゴイ!wiki経歴も
高木ゑみさんは東京都出身で東京都港区出身で実家は資産家だと言われています。
自営業の父に母、3人の兄がいます。

↑記事に高木家の祖父の代の親族写真が掲載されています。
実家がどのような事業をしていたかは不明ですが、裕福そうなのが、よく分かります。
高木ゑみさんは学生時代に色々な国に留学しています。このことからも実家が裕福なのは良く分かりますね。
留学経験のおかげで世界各国の料理に触れることができ、大きな経験となります。
実家には来客も多く、母親は常にキッチンにおもてなしをしていたそうです。
キッチンに立つ母親の姿が高木ゑみさん料理研究家としての原点だったそうです。
中学に入ってからは、有名な料理家の本を買い知識を増やし、本格的に料理の道へ進もうと思ったのは高校の頃でしたが、高校卒業後に料理学校には進学されていません
大学時代は慶應義塾大学で美学美術史学を専攻するかたわら、空いた時間のほとんどを料理に費やします。
大学時代にリーズナブルな料理を多くの方に提供したいと考え、自分で料理教室を開こうと決意します。
大学卒業後、料理の道を究めるために、「エコール辻東京フランス・イタリア料理マスターカレッジ」に入学。
本格フレンチ・イタリアンをつくれるレベルまで腕を磨きます。
その後、マカロン由香さんの料理教室、出張料理アシスタント経験を経て、
料理教室「ガルシェフ料理塾」を主宰。
メニュー・商品開発、出張料理、企業とのタイアップや企業向けレシピ開発や出張料理、離乳食講座も開いていました。
2017年のインタビューでは将来は小料理屋を開きたいと話しています。
『自然と人が集まってひと息つけるような場所をつくれたらいいな』と夢を語っていました。
子供が大きくなり、自分が50歳くらいになってから小料理屋の夢を叶えたいと話していましたが、残念ながら35歳で亡くなります。
まだ息子さんも小さく、夢半ばで肺がんになったのは本当に辛かったと思います。
それでも最後まで前向きに明るく生きたのは本当にスゴイと思います。
『ゑみ』という名前は本名です。
名前の由来は『微笑み→ほほえみ→ほほゑみ』で、いつも笑顔でいてほしいという意味が込められているとブログに書かれていました。

本当に名前の通りの人生だったと思います。
ご冥福をお祈り申し上げます。