砂渡好彦の生い立ちと村の掟や自宅|十文字抄知のSNS【顔写真】

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青森県六戸町犬落瀬で13日未明、8人家族の十文字利彦さん(68)宅が全焼。

 

焼け跡から5人の遺体が見つかり、5人の遺体は連絡のつかない義母の和子さん(88)と妻の弘子さん(67)、次女の抄知さん(39)、孫の弥羽さん(9)の家族4人と、近くに住む和子さんの兄の砂渡好彦(92)とみられています。

 

 

現場近くにポリタンクを積んだ砂渡好彦さんの軽乗用車が停めてあったことから警察は砂渡好彦さんが放火したとして捜査を進めています。

複数の週刊誌の報道で、砂渡好彦さんは十文字家に恨みがあったようです。

いったいなにがあったのでしょうか?

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砂渡好彦の生い立ちと経歴と村の掟

砂渡好彦さんはかつて大工で、ニンニク農家でもありました。

 

 

 

92歳となった現在も農作業を続けていたそうです。

 

家も江戸時代から続く名門だったのですが、近隣住民からは“偏屈なおじいさん”として有名だったそうです。

 

 

近隣住民の証言

「砂渡さんは好彦という名前から、ヒコさんと呼ばれていました。ヒコさんは高齢のためか、5年ほど前にニンニク農家を辞めることになり、『仕事で使う農機具など一式を30万円で売る』と私に言ってきたことがあったんです。ただ、いざ支払い終えると、今度は『もう20万円払え!』と言いだしてきて……。あげくには『一升瓶を持ってこい! 焼酎4リットルでもいい』とまで言い始めた。一方で、『領収書をくれ』とか『印紙を貼ってくれ』といったことを言っても、ヒコさんは面倒なことは聞こえないフリをするんです。他にもお金にまつわることで前言撤回されたこともあったし、まるで詐欺師だなと思いました。私はもう関わりたくなかったですね」

 

ただ、昔から偏屈だったわけではなく、昔は近所でも評判のよかった人物だったそうです。

砂渡好彦さんの性格が変わってしまったのは身内の不幸や、村の掟があったみたいです。

 

砂渡さんは結婚しており、娘や妻がしました。

しかし、可愛がっていた孫が大学生の時に自殺。

自分の娘も精神的に不安定で病院に入院。

妻にも先立たれており、現在は1人で暮らすようになり、偏屈な性格から村八分のようになっていたそうです。

 

 

さらに村の掟による十文字家と砂渡さんの血族による争いがあったとも報道されています。

砂渡さんが幼い頃、自分の母親が十文字家に後妻として嫁いでいった過去がありました。

さらには、妹の和子さん(88歳。13日の火事により死亡したとみられる)もまた、十文字家に嫁ぐことになります。

そして、この結婚で割を食ったのが砂渡好彦さんでした。

 

実は集落には集落内の人間同士で結婚しなければならないというルールがありました。

 

 

今回の火事で燃えてしまった家は、もともと好彦さんが暮らしていた家でした。

ただ妹の和子さんの結婚に伴い、その家を十文字一家に明け渡し、好彦さん自身は今の家に追い出されるような形となりました。

 

 

 

ところが、十文字利美さんの次女の抄知さん(39歳。13日の火事で死亡したとみられる)は掟を破り、恋愛結婚で集落の外から夫を婿に迎えました。

それを砂渡さんは心よく思っていなかったみたいですね。

砂渡好彦の自宅

砂渡好彦さんの自宅については報じられていませんが、事件現場となった十文字利彦さん(68)宅の近くに住んでいました。

 


事件現場となった十文字利彦さん(68)宅は特定されており、この近くに砂渡好彦さんが住んでいたことになります。

十文字抄知のSNS【顔写真】

亡くなったとみられ十文字抄知さん(39)の顔写真はマスコミにより公開されています。

十文字抄知さん本人のSNS(facebook)から顔写真が引用されているため、facebookアカウントも特定されています。

facebookにはお子さんの様子が数多く投稿されているため、アカウントの掲載は控えます。

投稿から仲のいい家族だったのがよくわかります。

 

 

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