女優・服飾評論家として活躍された市田ひろみさんが亡くなったと報じられました。
8月1日に急性呼吸不全のため京都市上京区の病院で亡くなったということです。
市田ひろみさんの家族や経歴についてまとめていきます。
市田ひろみの夫や子供
1932年生まれで、90歳で亡くなった市田ひろみさん。
どうやら結婚歴はないみたいです。
過去のインタビューでは「家庭がないからこんな勝手な時間の使い方ができる」と語っています。
市田ひろみ訃報記事には喪主が『弟・昌生(まさお)さん。』と記載されているので、子供もいないと考えられます。
市田ひろみの現在と若いころの画像と経歴
市田ひろみさんは1932年生まれの大阪府出身。
京都府立大学国文科卒業後、重役秘書としてのOL生活をスタート。
その後、女優、美容師などを経て、1961年頃からは服飾評論家として活躍。
現在では、民族衣装の研究家としても知られ、日本各地で講演会・展覧会を催すしていました。
1945年:小学校時代を中国 上海で過ごす。帰国後は京都で暮らし始める
1953年:京都府立大学女子短期大学部 卒業
1953年:ヤンマーディーゼル入社
1956年:大映京都入社
1958年:映画デビュー
1961年:美容師に転職。
1968年:世界の民族衣装調査・研究
1993年:サントリー緑茶のコマーシャル出演 コマーシャル大賞受賞
「女経」って映画見てるんやけど、これもしや若い時の市田ひろみさん????せやんな?せやんな??? pic.twitter.com/12ZP0RxIdp
— ささき@今年もスカーフの女 (@sasaki_aa) August 18, 2019
1990年代に緑茶のCMに出演され話題となりました。

90年代にお茶のCMで一大人気となった市田ひろみさんだけど、当時は女優としてはセミリタイアした状態だったそうやね。
ウィキペディアの出演歴を見ても、大映作品に出ていたのは昭和30年代まで。
リバイバル人気で昔の作品がテレビ放映されたり名画座でかかることもあったけど、CMで見た印象よりも当然だけどはるかに若い頃のものばかりだった。
市田さんは太平洋戦争中だった小学校時代に、父親の仕事の都合で上海で6年間過ごします。
1945年に日本に帰国。
高校時代は陸上部で、円盤投げ・短距離・砲丸投げで何度かインターハイに出場。
短期大学卒業後はヤンマーディーゼル入社。技術部長の秘書として働きます。
その後、ひょんなことから女優と働くことになりますが、
親戚中から反対されます。
しかし、大映ニューフェイス・第十期生として専属契約を結び、女優になる事を決意。
1958年に女優デビューしますが、すぐに引退。
1960年代から母親とともに美容室を京都で経営し、着物教室や着物ショーの活動で知られるようになります。