ノルディックスキー・ジャンプ男子の坂野旭飛選手が、2025年7月1日に札幌市のススキノの雑居ビルから転落し、死亡しました。
誤って落ちた?
えー😭札幌市のススキノで7月1日1時すぎ
札幌市中央区南7条西4丁目の雑居ビル3階から
19歳の男性が雑居ビルから転落し、死亡札幌市西区の会社員、坂野旭飛さん
体内からアルコールが検出された pic.twitter.com/4FiGLf9hqM— macaron (@fraisst) July 3, 2025
坂野さんの体内からはアルコールが検出されており、警察は坂野さんが誤って転落した可能性もあるとみて、詳しく調べていたなか、気になる続報が出ました。
デイリー新潮の報道によると、坂野旭飛選手はお笑いタレントが経営するダーツバーで飲食していたということです。
坂野旭飛さんが飲食していたお店はどこなのでしょうか?
本記事では坂野旭飛さんのプロフィールと家族についてまとめていきます。
坂野旭飛の死因と転落事故現場は第2北海ビル(アバンティ)
坂野旭飛選手が転落したのは札幌市中央区南7条西4丁目の雑居ビル3階からです。
7月1日午前1時すぎ、近くを通った人から「人が落ちてきた」と警察に通報があり、事故が発覚。
坂野選手は、3階の共用部分のバルコニーから転落したとみられ、意識不明の状態で病院に搬送されましたがその後死亡が確認されました。
死因は「多発外傷」とされています。
事故現場の映像と、事故当時、現場付近にいた人のXの投稿から、坂野旭飛選手は「第2北海ビル(アバンティ)」の3階から誤って転落したとみられています。
Space Art Studioが入っている第2北海ビルAVANTIにほぼ間違なさそう。 https://t.co/5sPUzrwksX pic.twitter.com/vyN8sMqwC0
— 昭和アイドル、石野真子、岡田有希子さんが好き (@HZenshou) July 1, 2025
デイリー新潮によると、坂野選手はビルの3階にあるダーツバーのバルコニーから転落したということです。
酔った坂野選手はバルコニーの柵から乗り出すようにしてスマホを操作していた時に、なにかの拍子にスマホを落としてしまい、坂野選手は瞬時につかもうとしてバランスを崩し、転落したとされています。
この説の裏付けとして、坂野選手のスマホが2階バルコニーの柵に落ちているのが見つかっています。
坂野旭飛の死因とダーツバーはどこで経営者は誰?【芸人・お笑いタレント】
事故当時、坂野旭飛選手はダーツバーで飲食していました。
ダーツバーの特徴
・第2北海ビルAVANTIの3階にある
・カウンターとボックス席があってダーツやカラオケができる店。
・経営者はお笑いタレントで、地元での交友関係が広い
・坂野選手と経営者は知り合いだった可能性がある
・坂野選手には同席者がいたが、誰と一緒にいたかは不明
第2北海ビルAVANTIの3階にダーツバーがあるかどうか調べたところ、確かにダーツバーがありました。ダーツやカラオケが楽しめるバーで、報道されている内容と一致します。
経営者の名前を調べたところ、お笑いタレントであることも確認できました。
ただ、本記事で店名とお笑いタレントの名前を掲載すると、晒し者になり、誹謗中傷の的になる可能性があるため、詳細は伏せさせていただきます。
ご容赦ください。
坂野旭飛wikiプロフィール
【訃報】未来を担うジャンパー 坂野旭飛さんが19歳で急逝💐🕊️✨
ノルディックスキー・ジャンプ界に衝撃が走りました――
雪印メグミルクスキー部は7月3日、所属選手の坂野旭飛(さかの あさひ)さんが7月1日未明、札幌市中央区のビルから転落し亡くなったと発表しました。享年19歳でした。… pic.twitter.com/qxz1aPUVhw— 不動産屋さんもみんな集まれദ്ദി ˃ ᵕ ˂ )企業公式相互フォロー (@WADAEMON_jp) July 3, 2025
坂野旭飛さんは2005年8月13日生まれの北海道札幌市出身です。下川商業高校卒業後、雪印メグミルクスキー部に所属していました。
下川商業高校在学中の2023年、全国高校総体(インターハイ)でスキージャンプ男子個人初優勝。
2022年から世界ジュニア選手権に4大会連続出場し、2024年2月のワールドカップ(W杯)に初出場。国内だけでなく、国際大会でも活躍し、実績を積み重ねていました。
高校時代から圧倒的な強さで注目され、今後が期待されるなか、早すぎる逝去に多くのファン、関係者が哀悼の意を表明しています。
坂野旭飛選手の父親は、元スキージャンプ選手で雪印メグミルクスキー部前監督の幸夫さんです。
名前: 坂野幸夫(さかの ゆきお)
生年月日: 1976年2月3日
出身地: 山形県米沢市
学歴: 米沢市立第三中学校 → 山形県立米沢工業高等学校
所属: 雪印メグミルクスキー部
・選手時代
1994年に雪印メグミルクスキー部に入社し、スキージャンプ選手として活動。
1994年リレハンメル冬季オリンピックでは、日本チーム(原田雅彦、西方仁也、岡部孝信、葛西紀明)の一員として国別団体戦に出場。
2010-2011シーズンには全日本スキー連盟のジャンプ日本代表(Bチーム)に選出された。
・指導者として
選手引退後、雪印メグミルクスキー部のコーチを経て、2023年4月に同部の監督に就任。2025年3月まで監督を務め、その後は雪印メグミルクの北海道支店で営業社員として活動。息子の坂野旭飛選手を幼少期から指導し、彼をスキージャンプの有望な若手選手に育て上げた。