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織原城二の犯行ビデオ内容とwiki経歴|在日韓国人がルーシー・ブラックマン事件の犯人

2024年4月16日放送の【仰天ニュース】では「ルーシー・ブラックマン事件」が取り上げあれます。

 

 

元英国航空客室乗務員のルーシー・ブラックマンさん(21歳、死亡当時)が2000年夏に失踪し、その後に遺体で見つかった事件。

 

犯人は会社役員の織原城二(48歳、逮捕当時)です。

 

織原城二は、17歳の頃からクロロホルムや睡眠薬を使って女性の意識を奪い、身体を拘束してから強姦するという犯罪を繰り返す性犯罪者でした。

 

 

本記事では織原城二、ルーシー・ブラックマンさんと事件の詳細についてまとめていきます。

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ルーシー・ブラックマン事件概要と犯人は在日韓国人

 

ルーシー・ブラックマンさんは元英国航空乗務員でしたが、2000年5月4日に来日し、『カサブランカ』なるバーでホステスとして働き始めます。

 

日本ではイギリス人の友人と同居して暮らしていました。

 

2000年7月1日 、ルーシーさんは同居する友人に「お客さんと海へドライブに行く、1時間後には戻る」と連絡した後に行方不明となります。

 

友人は警察に捜索願いを出し、ルーシーさんの父親と妹も来日して情報提供を呼び掛けます。

 

 

 

警察の捜索が続くなか、ルーシー・ブラックマンさんの周辺で新たに外国人女性二人が行方不明になっていることが発覚。

 

さらにあるSM愛好家が、「背が高くて胸の大きな外国人ばかりを誘拐し、拷問して殺すまでの一部始終をビデオカメラに収めたいと周囲に漏らしていた男性がいたと証言。

 

この男性が、当時48歳だった織原城二(おばら じょうじ)でした。

 

 

ルーシーさんはなかなか発見されませんでしたが、捜査線上には既に織原城二の存在が浮かび上がっていました。

 

警察の執念の捜査により、織原城二は2000年10月12日に別件の準強制わいせつ容疑で逮捕。

 

2000年11月17日にはルーシー・ブラックマンに対する準強姦罪再逮捕されます。

 

 

さらに、2001年1月26日にはオーストラリア人女性カリタ・シモン・リジウェイ(21歳・死亡当時)に対する強姦致死容疑で再逮捕されます。

 

 

そして2001年2月に神奈川県三浦市の海岸にある洞窟に放置された浴槽の中から、バラバラに切断された遺体が発見されます。

 

この遺体がルーシー・ブラックマンさんと判明しました。

 

 

 

 

その後の捜査で織原城二による性的暴行の被害者は、カナダ人女性ケティ・ブラウンさんなど、200人以上いることも判明します。

 

最終的に織原はルーシーさんとカリタさんに対する準強姦致死、8人への準強姦などの罪に問われます。

 

2010年12月に最高裁で無期懲役が確定し、織原は現在服役中となっています。

織原城二のビデオ内容

織原城二の犯行手口は、女性をアルコールや薬物によって昏睡させ、暴行する様子を撮影するというものでした。

 

 

被害にあった外国人女性の出身国は、カナダ、イギリス、ウクライナ、オーストラリアなど多岐にわたります。

 

亡くなったオーストラリア人女性のカリタさんに対する犯行の様子もビデオにおさめられており、

 

カリタさんは着衣を剝がされた状態で両手両足が紐でベッドの四隅に括りつけられていたそうです。

 

 

ビデオテープの映像を解析していたある警察関係者は、内容があまりにも卑劣極まりなく、行為そのものが酷いことから、怒りを通り越して織原の人間性を疑ったそうです。

 

 

この時のビデオテープは外部に流出しておらず、映像自体は確認することはできません。

 

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織原城二のwiki経歴

 

織原城二は1952年8月10日生まれの大阪出身です。2024年4月時点の年齢は71歳になります。

 

 

在日コリアンの家族のもとに生まれ、出生名は「金聖鐘(キム・スンジョン)」でした。

 

父親は不動産業などで成功を収めた資産家で、家族は両親のほか、兄弟が2人いる事などが明らかになっています。

 

織原城二は、地元大阪府の中学を卒業後、「慶應義塾高校」に進学。

 

織原城二はこの高校進学で上京するにあたって、父親から東京田園調布に敷地330坪のプール付きの豪邸を買い与えられています。この豪邸には家政婦もつけられていたそうです。

 

17歳の頃にはアルコールやクロロホルム、睡眠薬などを使って女性を昏睡させてレイプなどを行っていたとされています。

 

最終的に被害者は200人以上にものぼり、性的暴行の記録をノートや映像に残していました。

 

 

織原城二は高校卒業後、駒沢大学へ進学。

 

3年間アメリカやスウェーデンに留学しています。

 

大学卒業後は特に就職をすることもなく自由に生活しながら犯行を続けます。

 

 

 

そして30代になった織原城二は、父親から相続した財産を投資に運用。

 

不動産業を始めてからは資産が大幅に増え、一時期は総資産40億円にまで達します。

 

このまま順風満帆にいくかと思いきや、事業に失敗して1999年には自宅を一時的に差し押さえられたほか、複数の所有物件の差し押さえを受けます。

 

そして、ルーシー・ブラックマン事件でこれまでの非道な犯行が明るみになり、逮捕となりました。

 

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