奥本章寛死刑囚の出身地や生い立ち|かわいそうとは?嫁や義母について

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奥本章寛死刑囚(33)が拘置所で使える物品を定めた訓令の改正で色鉛筆が使えなくなったのは憲法だと、と国を訴えた裁判で、国側は争う姿勢を示したことが話題になっています。

奥本章寛死刑囚(33)は、拘置所内で描いた作品を絵はがきなどにして販売し、収益の一部を遺族への弁償に充てていました。

10月7日に裁判の第1回口頭弁論が東京地裁でおこなわれます。

そこで今回は奥本章寛死刑囚について、まとめていきたいと思います。

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奥本章寛死刑囚が起こした事件について:宮崎家族3人殺害事件

事件が起きたのは2010年3月です。

奥本章寛は、宮崎市の自宅で同居していた義母(妻の母)、妻(嫁)、長男を殺害する事件を起こし、2010年12月7日、宮崎地裁の裁判員裁判で死刑判決を受けました。

その後、控訴、上告も棄却され、2014年11月に死刑が確定しています。

010年3月1日の早朝5時頃、奥本は宮崎市の自宅で生後5カ月の長男を浴槽の水に沈めて溺死させ、妻(当時24)と養母(同50)をハンマーで撲殺。そして日中はいつも通り会社に出勤して働き、夜9時頃、自宅近くにある会社の資機材置き場で長男の遺体を土中に埋めた。そのうえで第一発見者を装って警察に通報したが、犯行はすぐに露呈し、逮捕。裁判では昨年10月、最高裁に上告を棄却されて死刑が確定し、現在は福岡拘置所に収容されている。

exciteニュース

奥本章寛死刑囚の出身地や生い立ち

奥本章寛は福岡県豊前市の山あいの街で生まれ育ち、小中高と剣道部のキャプテンを務めていました。

高校卒業後は自衛隊に入り、勤務地の宮崎で知り合った妻と結婚。

結婚を機に自衛隊を辞め、土木関係の会社に転職。

新しい仕事も順調で、長男を授かります。

家庭も仕事も順調そうに思えましたが、実は奥本章寛は義母との関係が上手くいっていませんでした。

養母は奥本が結婚の際に自衛隊を辞めたことと、結納も挙式もしなかったことに強い不満を抱いていた。そして事あるごとに「自衛隊を辞めた時からあんたは気に食わん」「結納も結婚式もしなかった」と奥本を面罵した。奥本の実家はよく米や野菜を送ってくれたが、養母は「お前の家族は何もしてくれん」と言い、奥本の両親が福岡から訪ねて来た時も家に上げるのをいやがった。

養母のそんな仕打ちに対し、忍耐強い性格の奥本はひたすら我慢し続けた。ただ、養母との衝突を避けるため、当時は会社が終わっても車の中で過ごし、帰宅時間は夜の10時、11時になるという生活に陥った。一方で朝は土木作業員ゆえに4時、5時から現場に出なくてはならず、睡眠時間を削られた奥本は心身ともに疲弊していった。

 

精神的にも追い詰められて、奥本は自殺も考えますが、最終的に下した決断は家族3人を全員殺害することでした。

 

その後の裁判では心理鑑定などを受けますが、死刑が確定します。

裁判の認定では、奥本死刑囚が犯行に及んだ動機は、家庭内の様々な問題に起因するストレスなどだとされた。裁判中に受けた心理鑑定によると、慢性的な睡眠不足のため、犯行時には視野狭窄、意識狭窄の状態に陥り、冷静な思考や行動ができなくなっていたという。こうした経緯に同情した人が多数集まり、裁判中から減刑を求める支援活動を展開。その様子がテレビや新聞で報道され、注目を集めた。

弁護人は今年3月、「生きて償って欲しい」と減刑を求める被害者遺族の男性の上申書を「新証拠」として宮崎地裁に再審を請求。しかし9月には、「量刑に関する情状は再審の理由にあたらない」として請求を棄却されていた。現在は福岡高裁宮崎支部に即時抗告している。

ライブドアニュース

 

2017年3月には「生きて償って欲しい」と減刑を求める被害者遺族の男性の上申書を「新証拠」として宮崎地裁に再審を請求しますが、棄却されます。

再審請求に向け、被害者遺族が上申書を出すなど、異例のケースとして注目されました。

奥本章寛死刑囚の出身地について

奥本章寛死刑囚は義母との関係が悪く、事件に発展してしまいましたが、事件の6日前に義母に自身の出身地について差別的な発言があったと報道されています。

 きっかけは、些細なことだった。長男の初節句を福岡と宮崎のどちらでやるかをめぐり、養母が実家の両親と対立。感情が高ぶった養母は、奥本の頭を何度も殴りつけてきた。

「部落に帰れ。これだから部落の人間は」「離婚したければ離婚しなさい。慰謝料ガッツリ取ってやる」

殴られながらそう罵倒され、奥本はとうとう緊張の糸が切れてしまう。そして当初は自殺も考えたが、最終的に下した決断は家族3人を全員殺害することだった。なぜそれが解決になると思えたのかは奥本自身もよくわからない。心理鑑定によると、当時の奥本は精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に追い込まれていたという。そして、”あの時”を迎えた――。

 

【死刑囚の実像】被害者遺族からも愛される、不思議な殺人者 ― 宮崎家族3人殺害事件 (2015年4月29日) - エキサイトニュース
「"あの時"に時間を戻せたらいいのに、ということはいつも思います。ただ、もしも"あの時"に戻れるとしても、今の自分で戻りたいです。自分まで当時の自分に戻ったら、また同じことを繰り返してしまいそうだから...

 

奥本章寛死刑囚は福岡県豊前市のある地区の出身でした。

ただ、義母は奥本の出身地が被差別部落であるかのような発言していますが、実際はそうではなかったみたいです。

いずれにせよ、出身地がどこであろうと差別されるいわれはないですね。

奥本死刑囚は離婚しようとも考えたそうですが、義母から「離婚するんなら慰謝料よこせ」とも言われていたそうです。

かわいそうとは?嫁や義母の名前

奥本章寛死刑囚について、ネットで検索すると「かわいそう」というワードがサジェストに出てきます。

これは、奥本章寛死刑囚の犯罪に至った境遇に同情した方が、「かわいそう」と検索しているのかもしれません。

なぜ「かわいそう」と検索されているのかハッキリとは分かりませんでした。

ただ、生まれたばかりの長男を手にかけてしまうのは、やはり許せませんね。

犯罪を犯さずに、自分一人だけ家を出て逃げるという選択などを選んで欲しかったですね・・・

被害者である嫁や義母の名前なども判明していますが、ここでは伏せさせていただきます。

ご容赦ください。

宮崎家族3人殺害事件については、こちらの動画で詳細が確認できます。

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奥本章寛死刑囚の現在について

奥本章寛死刑囚は現在、福岡拘置所に収容されています。

そこでは、24色セットの色鉛筆を使って絵を描き、支援者を通じて作画集などを販売。収益を遺族に送金していました。

しかし、法務省は2020年10月に「保安上の課題を検討した結果」として訓令を改正。死刑囚や被告は色鉛筆を購入できなくなりました。

ある拘置所に収容されていた人が鉛筆削りの刃で自傷するなどしたトラブルがあり、再発防止のため訓令を出したとみられています。

奥本章寛死刑囚は、被害者の遺族である義弟に被害弁償金としてこれまでに計200万円超を支払ってきたが、訓令の改正により、継続が困難になるため、色鉛筆使用求め国を提訴しました。

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