岡田繁幸wiki経歴や相馬眼がスゴイ!息子は岡田紘和で近年は体調が悪かった

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実業家の岡田繁幸氏が亡くなったと報じられました。

競走馬の資質を見抜く相馬眼は日本一と言われています。

一口馬主のシステム競馬で競走馬を所有。牡馬には「マイネル」と名付けていることからファンの間では「マイネル軍団の総帥」とも言われています。

今回は『岡田繁幸wiki経歴や相馬眼がスゴイ!息子は岡田紘和!近年は体調が悪かった』についてまとめていきます。

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岡田繁幸wiki経歴や相馬眼がスゴイ!

岡田繁幸氏は1950年3月19日生まれの71歳。

北海道出身で牧場の長男として生まれます。

実家の競走馬生産牧場(現岡田スタッド)を継ぐために日大農獣医学部畜産科に進学。

しかし、結核にかかり1年間の入院生活を余儀なくされます。

岡田繁幸氏は入院期間中に何もできないとが悔しく、早く退院したかったそうです。

医師の反対を押し切り退院しますが、大学には復学せずに父の援助と知人のつてでアメリカのクレイボーンファームで馬産を学びます。

そこで仔馬時代のラフィアンに出会い、競走馬としての才能をいち早く見抜きます。

 ひと言でいえば、バランスが良くて品がありました。女馬にしてはたくましい馬体をしているのに脚はすごく繊細。お尻もヨロ(人間でいう太もも)などにぴしっと筋肉がつき、顔も目と目の幅、額の幅があって男みたいな顔をしているのに、品があって女といえば女なのです。

この頃から相馬眼がすごかったんですね。

ラフィアンは75年のエイコーンステークス(S)、マザーグースS、CCAオークスのニューヨーク牝馬3冠を達成します。

その後、岡田繁幸氏は日本に戻り1974年にビッグレッドファームを創設。

1986年にクラブ法人『サラブレッドクラブ・ラフィアン』を設立。

数多くの活躍馬を送り出し、マイネル・コスモ軍団の総帥と呼ばれています。

類まれなる相馬眼からサンケイスポーツのコラム『相馬眼』で多くの神予想を披露しました。

息子は岡田紘和

岡田繁幸氏の妻は岡田美佐子さんです。

岡田美佐子さんは、有限会社ラフィアンターフマンクラブの元代表、有限会社コスモス代表、有限会社ビッグレッドファーム代表です。

2人の長男は岡田紘和さんで、繁幸氏の後継としてサラブレッドクラブ・ラフィアンの代表を務めています。

ウインズ札幌で岡田紘和、吉田哲哉さんのトークショウ | 馬産地ニュース | 競走馬のふるさと案内所
引退した名馬の牧場見学データベース。馬、牧場、地図から検索可。見学マナー、見学Q&A、馬産地の知識が学べる。

こちらの記事に息子の岡田紘和さんの顔画像があります。

近年は体調が悪かった

報道によると岡田繁幸氏は近年体調が悪かったそうです。

腸の具合が悪く原因不明の下痢の症状などに悩まされていたそうです。

岡田繁幸氏ほどの人物なら多くの病院を回ったと思いますが、それでも原因を突き止めることができなかったようです。

2月11日に北海道新冠町のビッグレッドファームで行われた種牡馬展示会に出席し、体調が回復していると話していましたが、残念な結果になりました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

世間の反応

GIでの独特の解説が忘れられません。
日本競馬会の巨星が落ちました。
巨大な社台グループに、独自の相馬眼で立ち向かっていった世界に誇れるホースマンでした。
ご冥福をお祈りいたします。

 

今でこそ一口馬主は競馬の楽しみ方の一つとして定着してきましたが、岡田さんのマイネルがその草分けでしたね。
安い血統の馬でも配合と個体を見る相馬眼でクラブから活躍馬を数多輩出しました。
また競馬番組に出演されてはパドックで馬体の特徴を鋭く解説してくれる独特の予想が冴えていましたよね。

 

札幌競馬場でお見かけしたことがあります。
長身で背筋がスッとしたスマートな印象でした。
相馬眼もありましたし、間違っていたときにはしっかり謝る姿勢にも好感を持っていました。

 

走る馬を見る目は屈指。
個人的にはステイゴールドの種牡馬としての才能を、いち早く見極めていたのが印象に残ってます。
英国ダービーに管理馬を登録など夢も大きかった方。
最近体調悪かったとの事だが、余りに突然の事。
ご冥福お祈りします。

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