小川博(ロッテ)の現在や嫁と子供|父と母や勤務先の会社はどこ?【仰天ニュース】

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今回は元千葉ロッテマリーンズ投手の小川博(59)について取り上げます。

元プロ野球の選手でしたが、現役引退後の2004年に強盗殺人事件を起こし逮捕されています。

小川博起こした事件が、2022年2月22日放送の【ザ・世界仰天ニュース】で取り上げられるということで、小川博の生い立ちや家族についてまとめていきます。

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小川博(元ロッテ)が殺人事件を起こすまでの経緯


小川博は、プロの世界でも1年目から活躍した投手で、オールスターにも選ばれたことのある選手でした。

そんな彼がなぜ殺人事件を起こしてしまったのか・・・

小川博は1985年~1992年の間にプロで活躍。

右肩の怪我などにより引退。

引退後はコーチや球団職員として球団に残りますが、現役時代から金遣いが荒く、

引退後も豪遊生活を続けた結果、借金まみれになってしまいます。

借金は2000万円近くにまで膨み、まともな金融機関からは金を借りられなくなります。

同僚、知人などにも金を無心。

遂には闇金からも借金をして、その催促が球団事務所にまで来るようになります。

その結果、小川の面倒を見続けてきた球団も守ることはできなくなり、2002年11月に解雇されます。

小川博の引退後の経歴
1993年:二軍トレーニングコーチ
1994年:二軍トレーニングコーチ
1995年:一軍トレーニングコーチ
1996年:二軍トレーニングコーチ
1997年:二軍トレーニングコーチ
1998年:一軍トレーニングコーチ
1999年:二軍トレーニングコーチ
2000年:編成担当球団職員
2001年:編成担当球団職員
2002年:編成担当球団職員

 

球団から解雇された小川は、運送会社等でアルバイトを経て、2001年から埼玉県内の産廃処理会社に勤めて再出発を図ります。

2003年4月には自己破産もして身辺整理も図りましたが、プロ野球時代からの浪費癖がどうしても治らず、すぐにまた借金を重ねます。

働いていた産廃処理会社では、月に40万円の給料を得ていましたが、会社の飲み会で使う予定だった金をギャンブルにつぎ込んでしまい、再び闇金に手を出します。

借金は瞬く間に100万円近くになり、なんとかお金を工面しなければならなくなり、2004年11月18日に事件が起きてしまいます。

元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件の概要

小川博が起こした殺人事件は『元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件』と言われています。

2004年11月18日夜に小川博は金の無心のために埼玉県上尾市にある勤務先の会社の会長宅を訪ねます。

小川博は、この日のうちに3万円のお金を返済しなければならなかったそうです。

 

当日は会長一家は外出していて、家には住み込みで働いていた家政婦の西内和子さん(当時67)しかいませんでした。

小川は西内さんに金の無心をしますが、断られたため逆上します。

彼女を殴り倒して気絶させ、会長宅にあった現金175万円を奪います。

そして気絶した西内さんを車で運び、桶川市内を流れる元荒川に投げ込み水死させます。

小川博はたった3万円の返済のために殺人を犯してしまったということになります。

 

 

西内さんの遺体は2日後に釣り人が発見し、遺体には殴られた跡があったため警察は事件として捜査。

 

会長宅の玄関ドアはオートロックで、外部から侵入した形跡がなかったことなどから顔見知りによる犯行の可能性が高いと警察は考えます。

また、犯行の時間帯に高齢の女性を車に運び込ぶ大柄な男の目撃情報も得られます。※目撃者は病人を運んでいると思い、警察には通報しませんでした。

 

目撃者が見た車両と似た車に小川博がに乗っていたことや、小川博とも体格も似ていたことが判明。

そして、事件が起きる前の2004年8月に会長宅の2階窓ガラスがくり抜かれて中が荒らされる空き巣事件や、同年11月に社員寮で現金50万円が盗まれる事件が発生していました。

小川博に借金があったことは、社員には周知の事実で、窃盗・空き巣事件の犯人ではないかと疑われていました。

以上のことから、小川博が容疑者として浮上。

小川博の車の中から被害者の血痕が発見されたことにより、2004年12月21日に強盗殺人の疑いで小川博は逮捕されました。逮捕されたとき、小川博は42歳でした。

 

小川は奪った現金のうち十数万円を闇金に返済し、残りの現金はパチンコなどの遊ぶ金に使いました。

事件後も会社に行き、日常生活を送っていました。逮捕前日に解雇されていたと報じられています。

 

 

逮捕後、「西内さんの身なりが良いので、カネを持っていると思った」などと供述しています。

 

弁護士には、

「六本木や銀座の高級クラブで一晩に数十万円使った現役時代が忘れられなかった」

「妻と子供に、元プロ野球選手の家族らしい生活をさせたかった」

と話していました。

現役時代の華やかな生活が忘れられずに、人生を狂わしてしまいました。

 

小川博(元ロッテ)の現在

逮捕された小川博は裁判で無期懲役が確定。

判決確定後の2006年に千葉刑務所へ収監され、現在も服役中です。

日本の場合だと強盗殺人は量刑が死刑または無期懲役しかありません。

 

裁判で小川博側は「最初から被害者を殺害する意思はなく、事後強盗殺人罪に該当する」と主張。

この主張は認められ、「小川が被害者を突き飛ばした時点で殺意を有していたとは認められない」と認定しましたが、量刑は減軽されず無期懲役になります。

 

小川は「無期懲役は重すぎる」と量刑不当を理由に東京高等裁判所へ控訴しましたが、

2006年2月23日に東京高裁は第一審・無期懲役判決を支持して被告人・小川側の控訴を棄却する控訴審判決を言い渡しています。

判決理由は「金銭的窮状は小川が自ら招いたもので、犯行経緯に酌量の余地はなく、犯行は冷酷非道だ」としています。

 

無期懲役ということで、刑期が10年経過すれば仮釈放が可能と刑法で定められていますが、基本的に仮釈放されることはないようです。

過去のデータによると、無期懲役の仮釈放までの期間は30年~35年が一般的ということです。

小川博は2036年までは服役することが確実だと考えられます。刑務所から出られたとしても70歳を越えていることになります。

 

千葉刑務所で同じ無期懲役受刑者の手記によると、収監後の小川博は体格も小さくなり、現役時代の面影はまったくないそうです。

刑務所内のソフトボール大会では、元プロ野球選手として大活躍が期待されましたが、守備位置は投手ではなくショート。

ノーヒットだったため、期待を裏切ってしまったようです。

肩の怪我で引退しているので、もう投げることは出来ず、ピッチャーだったので打撃の方は駄目だったかもしれません。

 

かつては甲子園に出場し、プロでも活躍したスターでしたが・・・浪費癖のせいで悲惨な結果になりました。

まさかプロの試合に出場していた野球選手が刑務所内でソフトボール大会とはね・・・

落ちるところまで落ちてしまいました。

小川博(元ロッテ)の嫁と子供

小川博には2回の結婚歴があります。

小川博はプロ入り1 年目の1985年5月に最初の奥さんと出会い、1986年4月に結婚します。

1987年には息子さんが生まれますが、その後離婚します。

離婚理由は小川博の浮気や金使いの荒さです。

最初の奥さんの名前はふみ子さんです。

小川博が28歳のときのプロフィールに『ふみ子夫人(30)』と記載されていました。

顔画像は不明ですが、女優のような美人だったそうです。

 

離婚時期は不明でしたが、小川博が30歳の時にはプロフィールの欄から奥様の名前の記載はなくなっていました。

 

小川博の2回目の結婚は現役引退後の1994年です。

ロッテでトレーニングコーチをしていた頃に再婚されたようですが、2人目の奥様の名前などは不明でした。

再婚相手の奥様との間には2人の子供をもうけます。

事件後の2005年1月に離婚しています。

妻は、小川博が子供に手紙を出すことも拒んだということなので、現在は絶縁状態だと考えられます。

 

小川博は子供が3人いて、2回離婚していることになります。

小川博の父と母と生い立ちと成績

名前:小川博
生年月日:1962年4月2日 59歳
出身:栃木県足利市
身長:178cm
所属:元ロッテ
投打:右投右打
ポジション:投手
選手歴:ロッテマリーンズ (1985 – 1992)
コーチ・球団職員歴:千葉ロッテマリーンズ (1993 – 2002)

 

小川博は栃木県出身ですが、1歳の時に群馬県の子供のいなかった夫婦の養子になっています。

養父は大工で、養母は清掃作業員でした。

小川博は義父母からの愛情を注がれ、野球選手として成長。

中学卒業後は群馬県の前橋工業高校に進学し、エースとして甲子園に3回出場します。

青学大を経て1984年にドラフト2位でロッテ入団します。

当初、義父母はプロ野球入りを反対していましたが、球場に足しげく通い、息子を応援します。

オールスターに出た88年、10勝を挙げ、204個の三振を奪い、最多奪三振王のタイトルを取った。年俸は2200万円に跳ね上がり、高級外車を買う。だが肩を壊し、その後は89、90年に各3勝挙げただけ。92年に引退した。

 

オールスターにも出場しますが、怪我の影響により、長く活躍することはできませんでした。しかし、全盛期は年棒2200万円の年俸だったので、金銭感覚が狂ってしまったのかもしれません。

 

小川博の年俸推移
1985年:420万円
1986年:620万円
1987年:560万円
1988年:1100万円
1989年:2200万円
1990年:2000万円
1991年:1940万円
1992年:1580万円

 

そして、小川博はプロ野球引退後に金遣いの荒さから借金地獄になります。

借金トラブルの時も養父母は小川博をできる限り援助していましたが、

1993年には義父が亡くなります。

義母は夫が亡くなってからも小川博を援助していましたが、貯えていたお金が尽きてしまいます。義父母からの援助は数千万円にものぼったということで、小川博の金遣いの荒さが窺えます。

 

義母は2003年1月頃に小川博から金の無心をされますが、『もうお金がない』と初めて突き放します。

これ以降、小川博と義母は疎遠になり、事件が起きてしまいました。

 

逮捕後の2005年1月に小川博は義母に手紙を出しています。

 --身勝手でわがままばかりの人生だった。

 --周りの人に良いかっこばかり見せていた。

--どこかでプライドを捨て切れなかった

--これで(前妻の子を含め)3人の子供を捨てたことになってしまいました。私はバカな男です。母さん、長生きしてこのバカな男が帰るのを待っていて下さいますか。

--もう母さんしか(手紙を)書く相手がいなくなりました。博より

 

手紙を受け取った義母は、「子供ができず、養子の博を溺愛した。でも2年前に初めて『もうお金がない』と突き放してしまった」と、悔いていました。

手紙を受け取った2005年には、義母はすでに72歳でした。

もしかしたら、すでに亡くなっているかもしれません。

勤務先の会社はどこ?

小川博の勤務先の会社ですが、当時の記事でも会社名は報じられていないようです。

 調べでは、小川容疑者は11月18日午後6時半ごろ、上尾市小敷谷の産業廃棄物処理会社会長宅で、住み込みで働いていた西内さんに借金を断られたため突き飛ばして転倒させ、室内にあった会社の現金175万円を強奪。西内さんを乗用車に乗せ約3キロ離れた同県桶川市に連れて行き旧荒川に投げ込み、水死させた疑い。西内さんは2日後に遺体で見つかった。

小川容疑者は02年までロッテの編成部調査担当として、他球団とのトレード交渉などで手腕を発揮していた。退団後の03年1月に産業廃棄物処理会社に入社し、事件当時は営業部長だったが、今月20日に解雇されたという。最近は2度の離婚による慰謝料などで金に困っていた様子で、球界関係者によれば、若手選手からもたびたび借金をし、パチンコなどの遊ぶ金に充てていたという。複数の関係者が「球団にも借金があったようだ」と口をそろえた。

また、今年夏ごろ、ロッテの2軍施設の浦和グラウンドに姿を見せて選手の控室にふらっと入って、すぐに姿を消したことがあったという。ロッテ関係者は「その直後にロレックスの腕時計や選手のクレジットカードがなくなる事件があって選手は被害届を出していた。小川容疑者がやったのではないかとうわさになっていた」と衝撃的な証言をした。

2004年12月22日付デイリースポーツ紙面より

被害者の西内和子さんの顔画像も確認できませんでした。

ネット上で具体的な会社名もあげられていないようなので、小川博が事件当時勤務していた会社名は特定されていないみたいです。

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