2022年2月22日放送の「ザ・世界仰天ニュース」では元ロッテのプロ野球選手『小川博』が2004年に起こした殺人事件が取り上げられます。
元プロ野球選手で罪を犯した人はたくさんいますが、殺人を起こしたのは小川博だけです。
そこで今回は小川博の生い立ちやロッテ時代の成績をまとめていきます。
小川博の生い立ちと結婚
名前:小川博
出身:栃木県足利市
生年月日:1962年4月2日 59歳
身長:178cm
所属:元ロッテ
投打:右投右打
ポジション:投手
選手歴:ロッテ (1985 – 1992)
コーチ・球団職員歴:ロッテ(1993 – 2002)
小川博は栃木県出身ですが、1歳の時に子どもがいなかった群馬県在住の夫婦の養子となります。
小川博の実母や実父について情報はなく、なぜ息子を養子に出したのか詳しいことは不明です。
小川博の義父の職業は大工で、義母は清掃作業員でした。
子供に恵まれなかったこともあり、小川博は義父母の元で大切に育てられます。
中学卒業後の1978年に県立前橋工業高校に入学。2年時からエースナンバーをつけ、2年の春夏と3年の夏に甲子園に出場。
野球の実力も高く、イケメンだったこともあり、甲子園のアイドルとして有名になります。
高校卒業後は青山学院大学に進学し、野球部に所属。
4年春に2部リーグで停滞していた同部を1部リーグ復帰へ導く活躍を果たします。
そして、1984年にはロッテ・オリオンズ(現千葉ロッテマリーンズ)からドラフト2位指名を受けプロ入り。
当初、義父母は息子がプロ野球選手になることには反対していましたが、小川博は『自分の力を試してみたい』と反対を押し切り、プロ入りします。
小川博のロッテ時代にの詳しい経歴は後述しますが、プロ2年目の1986年4月に2or3歳年上の『ふみ子』さんと結婚。
1987年には息子さんが生まれますが、その後離婚します。
詳しい離婚時期は不明ですが、小川博が30歳の時(1992年)には離婚していたようです。
離婚理由は小川博の浮気と金遣いの荒さ。
小川博は現役時代に高級外車の購入や連日飲みに出かけ、お金を湯水のように使い、豪遊生活を送っていました
この金遣いの荒さが、後に小川博が引き起こす殺人事件の原因になります。
小川博のロッテ時代の成績や年俸と再婚
ドラフト2位でロッテに入団した小川博は、プロ1年目から先発ローテ入りします。
右サイドスローから放たれる最速150km/hの速球とシンカーを武器に
プロ1年目は先発2試合を含め一軍21試合に登板し2勝をあげます。
プロ2年目は6登板しか投げることができず0勝。
プロ3年目には8月から先発ローテーションに加わり、40試合に登板して3勝5敗、防御率3.28の成績を残します
1988年に登板31 10勝9敗 防御率3.40のキャリアハイの活躍を見せ、オールスターにも出場。リーグ最多のシーズン204奪三振と結果も残しつつありましたが、
その後は肩の怪我の影響などにより、活躍できなくなります。
1986年:登板6 勝利0 敗北0 防御率7.11
1987年:登板40 勝利3 敗北5 防御率3.28
1988年:登板31 勝利10 敗北9 防御率3.40
1989年:登板14 勝利3 敗北8 防御率5.50
1990年:登板20 勝利3 敗北1 セーブ1 防御率4.83
1991、92年は怪我の影響で登板がなく、1992年いっぱいで現役を引退しました。
1985年:420万円
1986年:620万円
1987年:560万円
1988年:1100万円
1989年:2200万円
1990年:2000万円
1991年:1940万円
1992年:1580万円
1994年:二軍トレーニングコーチ
1995年:一軍トレーニングコーチ
1996年:二軍トレーニングコーチ
1997年:二軍トレーニングコーチ
1998年:一軍トレーニングコーチ
1999年:二軍トレーニングコーチ
2000年:編成担当球団職員
2001年:編成担当球団職員
2002年:編成担当球団職員
殺人事件が起きるまでの経緯
小川博は現役時代から金遣いが荒く、それが原因で最初の妻のふみ子さんとは離婚しています。
現役を退いたコーチ時代にも浪費癖は治りませんでした。
前妻への離婚の慰謝料など数百万円の借金を抱えても浪費癖は治らず、義父母からの援助も数千万円にのぼりました。
しかし、小川博はパチンコなどの遊興費やアダルトサイト使用料や住宅ローンやギャンブルにより、借金を積み重ねます。
闇金や球団関係者からも借金を重ねるようになり、最終的に借金は2000万円近くに膨れ上がります。
球団事務所にも借金の取り立てが来るようになり、球団は仕方なく2002年11月に解雇します。
小川博は球団を解雇された後、アルバイトを経て、2003年から埼玉県上尾市の産業廃棄物処理会社に勤務。
営業部長を務め月収は約40万円だったといわれています。2003年には自己破産手続きを行い、身辺整理。
1994年に再婚した奥様も小川博を見捨てずに、2人の子供と家族4人で新たに埼玉県で生活を始めます。
月収40万円もあれば、家族4人で十分に暮らしていけるはずでしたが、小川博の浪費癖が治らずにまた借金を重ねていきます。
会社の経費10万円のうち3万円をギャンブルに使い込んでしまったことから、再び闇金に手を出してしまいます。
利子を含め借金は80万円に。
返済日には別のヤミ金から10万円を借りたが、それをパチンコで使い果たすという信じられない行動に。
小川博は会社の同僚からも借金を重ねていたため、もう借りるあてがなくなってしまいます。
そして事件が起きた2004年11月18日をむかえます。
この日のうちに小川博は3万円を返済しなければいけませんでした。
お金の無心のために小川博は同日夜に勤務先の会社の会長宅に向かいます。
そして事件が起きてしまいます。
元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件の概要
小川博が起こした殺人事件は『元千葉ロッテマリーンズ投手強盗殺人事件』と言われています。
2004年11月18日夜に小川博は金の無心のために埼玉県上尾市にある勤務先の会社の会長宅を訪ねます。
当日は会長一家は外出していて、家には住み込みで働いていた家政婦の西内和子さん(当時67)しかいませんでした。
小川は西内さんに金の無心をしますが、断られたため逆上します。
彼女を殴り倒して気絶させ、会長宅にあった現金175万円を奪います。
そして気絶した西内さんを車で運び、桶川市内を流れる元荒川に投げ込み水死させます。
小川博はたった3万円の返済のために殺人を犯してしまったのです。
西内さんの遺体は2日後に釣り人が発見し、遺体には殴られた跡があったため警察は事件として捜査。
会長宅の玄関ドアはオートロックで、外部から侵入した形跡がなかったことなどから顔見知りによる犯行の可能性が高く、
犯行の時間帯に高齢の女性を車に運び込ぶ大柄な男を目撃情報も得られます。※目撃者は病人を運んでいると思い、警察には通報していませんでした。
その後の警察の捜査により、
目撃者が見た車両と似た車に小川博がに乗っていたことが判明。
事件が起きる前の2004年8月に会長宅で空き巣事件や、同年11月に社員寮で現金50万円が盗まれる事件が発生。
小川博に借金があったことは、社員には周知の事実で、窃盗・空き巣事件の犯人ではないかと疑われていました。
以上のことから、小川博が容疑者として浮上。
小川博の車の中から被害者の血痕が発見されたことにより、2004年12月21日に強盗殺人の疑いで小川博(当時42)は逮捕されました。
小川は奪った現金のうち十数万円を闇金に返済し、残りの現金はパチンコなどの遊ぶ金に使いました。
事件後も会社に行き、日常生活を送っていました。逮捕前日に解雇されていたと報じられています。
逮捕後、「西内さんの身なりが良いので、カネを持っていると思った」などと供述しています。
弁護士には、
「六本木や銀座の高級クラブで一晩に数十万円使った現役時代が忘れられなかった」
「妻と子供に、元プロ野球選手の家族らしい生活をさせたかった」
と話していました。
小川博の殺人は計画的なものではありませんでしたが、強盗殺人は『無期懲役』か、『死刑』しか量刑がなく、2006年の裁判で無期懲役の判決が確定。
同年、千葉刑務所に収監され、現在も服役中です。
小川博の家族(嫁 子供 義父母)の現在
小川博には、
・義母
・前妻(ふみ子) 長男
・再婚相手 子供2人
7人の家族が確認されていますが、事件後は義母としか関りがないと考えられます。
事件当時、小川博は再婚相手と子供2人で生活していましたが、事件後の2005年に離婚しています。
妻からは手紙を出すことも拒否されてしまったため、現在も関りがないと考えられます。
事件のことを考えるとおそらく、最初の妻のふみ子さんとも関りがないでしょう。
1993年に義父は病気で既に亡くなっています。
以上のことから、小川博には義母しか家族は残っていないと考えられます。
2005年に小川博が義母に宛てた手紙についてマスコミが報じていました。
手紙の内容の一部が公開され、
--これで(前妻の子を含め)3人の子供を捨てたことになってしまいました。
私はバカな男です。母さん、長生きしてこのバカな男が帰るのを待っていて下さいますか。
--もう母さんしか(手紙を)書く相手がいなくなりました。
博より
上記のように綴られていたそうです。
あちこちに借金をしていたので、友人・知人もいなくなってしまったようです。
義母としか関りがないようですが、2005年1月の時点で義母の年齢は72歳でした。
現在もご存命であれば、89歳です。
しかし、小川博が出所するころには亡くなっていると思われます。
息子からの手紙を受け取った義母は、「優しい子だったのに……」と涙を流します。
「子供ができず、養子の博を溺愛した。でも2年前に初めて『もうお金がない』と突き放してしまった」
と、悔いていました。
もちろん、義父母は悪くありませんが、息子にお金を援助せずに、もっと早いうちにちゃんと叱ってやるべきだったかもしれません。
そうしていれば、結果は変わっていたかもしれません。