小田貴月の現在の顔画像やwikiプロフィール|高倉健の養女

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今回は高倉健さんの養女といわれている小田貴月さんについて取り上げます。

17年間に渡り、高倉健さんを人知れず支えた彼女ですが、高倉健さんが最後に愛した女性ともいわれています。

そこで今回は『小田貴月の現在の顔画像やwikiプロフィール|高倉健の養女』についてまとめていきます。

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小田貴月の現在の顔画像

小田貴月さんは女優さんでもありますが、高倉さんの著作権などを管理する高倉プロモーションの社長を務めています。

現在は社長業を主に活動されているみたいです。

現在の顔画像は不明です。

近年、小田貴月さんはメディアに出演されることもありますが、素顔は隠されています。

2021年には文化放送「くにまるジャパン 極」にゲスト出演されたことが記事になっていましたが、後ろ姿しか確認できませんでした。

養女から見た“素顔の高倉健” 小田貴月社長が絆を深めた秘蔵エピソード紹介 26日文化放送:中日スポーツ・東京中日スポーツ
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小田貴月のwikiプロフィール

小田貴月さんは1964年1月13日生まれで出身は東京都板橋区です。

年齢は57歳(2021年現在)。

千代田女学園高校在学中にスカウトされ、同短期大学に進学しますが中退して芸能界入りします。

貴倉良子に改名し、ホテルジャーナリストやテレビディレクターとしては、河野貴名義で活動されていました。

『必殺仕事人Ⅲ』『必殺仕事人四Ⅴ旋風編』『水戸黄門』『パソコンサンデー』などに女優として出演されていました。

プライベートでは2度の離婚歴があり、

26歳の時日本人とフランス人のハーフの人と結婚。

しかしすぐに別居して離婚します。

その後、NHKの番組制作プロデューサーと再婚しますが、離婚されます。

お子さんはいないみたいです。

高倉健さんの出会い【高倉健の養女】

小田貴月さんは女優・タレント業の後、テレビディレクターやホテルジャーナリスト・ライターなど様々な分野で活躍されます。

高倉健さんと小田貴月さんは1996年に出会い、この頃小田さんはフリーライターとして活動されていました。

2人の出会いは1996年3月で、

フリーライターとして活動していた小田さんは、女性誌の取材で香港のホテルを訪れた際、高倉健さんと偶然出会います。

仕事の後、カメラマンやホテルの担当者と共に昼食をとるためレストランに行くと、テーブルで談笑する高倉を見かけました。“俳優・高倉健”については、映画『八甲田山』や『南極物語』に主演した俳優さんという範囲の認識でした。

とはいえ著名な方です。カメラ機材を抱えた私たちが入ることは憚られたので、いったん外へ出ました。その後、担当者のご配慮で、私たちは隅の目立たない場所に席を得て食事をしていました。

そこに高倉が現れ、「お気遣いいただき、ありがとうございました」と会釈していったのです。

帰国後、私は心遣いへのお礼状とともに、その時のホテル取材の掲載誌を送りました。高倉からは、本人の著書やインタビューの掲載誌が送られてきて、それから手紙のやりとりが始まった。

ホテルでの気遣いがきっかけで2人の手紙のやりとりが始まります。

やりとりが続くうちに、やがて2人は共に暮らすようになります。

高倉さんは長期ロケに出るときに、自分のサインを入れた婚姻届を、

「何かあったらこれを出しなさい」小田さんに渡していたそうです。

しかし、籍を入れることはなく、小田さんも気持ちだけで十分だったそうです。

そのようなやりとりが続くうちに、小田さんは2013年に正式に高倉健の養女となります。

養女になった理由ですが、2012年に小田さんの母親が倒れたことがきっかけです。

このとき、高倉さんは患者本人の親族でないと、医師の説明を聞くこともできないことを知ります。

高倉さんはこの経験から自分の身に何か起きたとき、小田さんが医師から説明を聞くことができないことを考え、小田さんとちゃんと家族になることを決意。

養子縁組にしたのは、「高倉健が結婚」となると、世間が大騒ぎになってしまうからということを考えたからだそうです。

小田貴月さんは、高倉健さんが2014年11月10日に悪性リンパ腫で亡くなるまで一人で看病を続け、最期まで支えました。

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