日本の女子レスリング元選手で、2012年ロンドンオリンピック女子48kg級で金メダリストに輝いた小原日登美さんが亡くなったことが明らかになりました。
2012ロンドン五輪で、女子レスリング48キロ級で金メダルを獲得した小原日登美さんが、18日に亡くなったと聞いて、びっくりもし、ショックを感じてます。
今年1月には、伊調馨さんとともにコーチに就任したばかり。
44歳。
早すぎます。
斉藤仁さんとともに青森県の宝を失いました。
合掌🙏 pic.twitter.com/hstBujrNzb— 藤ちゃん (@Q8aDB5OSMF9P5QV) July 19, 2025
まだ44歳という若さでしたが、なぜ亡くなってしまったのでしょうか?
小原日登美の死因は何?
小原日登美さんは2025年7月18日に急逝しました。
小原日登美さんが亡くなったことは関係者により明らかになり、詳しい死因については不明となっています。
小原日登美さんは、SNSアカウントを利用しておらず、 公の場での発信は主にインタビューや講演、メディア出演を通じて行われていました。
そのため、彼女の小原さんはSNSを利用していないので、近況や持病などの有無は不明です。
自殺の可能性も?うつ病を乗りこえた過去
小原さんは過去にうつ病と診断されたことがあります。
小原さんは2003年に膝の怪我やアテネオリンピック(2004年)の日本代表選考から外れたことで心身ともに大きなダメージを受けました。この時期、競技での挫折感や「強くない自分には価値がない」という思いに苛まれ、うつ病を発症しました。
うつ病により自宅に引きこもり、心が壊れるほどの状態に陥りました。風呂場でカミソリを持つほど精神的に追い詰められた時期もあったとされています。
過食症も併発し、体重が一時74kgにまで増加。競技階級(48kg級や51kg級)から大きくかけ離れた体重となり、アスリートとしての復帰が困難な状況でした。
その後、家族の支えでうつ病、過食症、減量苦を乗り越えることができましたが、
今回の訃報で過去のうつ病が注目されています。
所属する自衛隊体育学校の広報は、スポーツ報知の取材に「ご遺族の心情等への配慮や亡くなられた隊員およびご遺族のプライバシーを保護する必要があるため、回答は差し控えさせていただきます」とコメント。
以上のことから、自殺の可能性も指摘されていますが、真相は不明となっています。
小原さんが過去にうつ病を患っていたことは事実ですが、2025年の死因がうつ病やその関連(例:自死など)に起因するかどうかは、現時点の情報では一切確認できません。
他の病気や事故死の可能性もあります。
旦那は小原康司
小原日登美さんは2010年10月に同じ青森・八戸工大一高出身で自衛隊所属の小原康司さんと結婚したことを発表しました。
小原康司さんは1982年1月28日生まれの青森県八戸市出身です。
小原康司の主なレスリング戦績
2003年:全日本選手権3位
2008年:全日本社会人選手権優勝、モンゴルプレジデントカップ3位
2012年には夫婦そろって「いい夫婦パートナー・オブ・ザ・イヤー」を受賞。
2人の間には2014年10月に第1子、2016年に第2子が誕生しています。
小原康司さんは現在、海上自衛隊第3術科学校に所属していました。
うつ病を乗りこえた現在とwiki経歴
小原日登美さんは、1981年1月4日生まれの青森県出身です。
八戸工大一高から中京女子大(現至学館大)を経て自衛隊に所属していました。
小原さんは幼少期から八戸キッズでレスリングを始め、1998年に全国高校生選手権50kg級で優勝します。
1999年には全日本女子学生選手権51kg級と全日本選手権で優勝を果たします。
2000年と2001年に世界選手権51kg級で2連覇を達成するも、膝の負傷で一時離脱しますが、2004年に復帰。
2008年に一度現役を引退しますが、2010年に復帰。同年、元レスリング選手の小原康司と結婚し、夫のサポートを受けながら競技を続行します。
結婚を機に2011年に登録名を「小原日登美」に変更しています。※旧姓は坂本
同年の世界選手権で8度目の優勝を果たし、2012年ロンドンオリンピックで初出場初優勝を達成し、金メダルを獲得。試合後、現役引退を表明しました。
引退後は出産・育児を経て、自衛隊体育学校に所属し、コーチを務めていました。
2025年1月には女子日本代表コーチに就任していました。