1985年8月12日に起きた「日本航空123便墜落事故」。
乗員・乗客524名のうち520名が亡くなり、墜落事故および単独機の航空事故でも世界最多の死者数となっています。
520名も亡くなる大惨事となりましたが、4名の生存者がいます。
そこで今回は日航機墜落事故の生存者と機長についてまとめていきます。
日航機墜落事故の生存者4人はなぜ助かった?
落合由美(当時26歳)
川上慶子(当時12歳)
吉崎博子(当時34歳)
吉崎美紀子(当時8歳)
日航機墜落事故の生存者は4名は飛行機後方の座席に座っていたことから奇跡的に助かったといわれています。
飛行機は墜落時に前方部分と後方部分に分離。それぞれ違う軌道で山中に落ちてきました。
前方部分は高速度のまま地面に激突をし機体は炎上をしました。
一方、後方部分は山の斜面を滑り落ちるような形で地面へ接触。
かなりの衝撃を受けたようですが、いくらか衝撃が和らいだみたいです。
燃料タンクとも分断されたため、火災が発生しなかったのも生存の大きな要因だったといわれています。
日航機墜落事故生存者の現在
生存者4人は現在どのように暮らしているのでしょうか?
落合由美さんの現在
事故機に客として乗り合わせていた落合由美さんは、日航の客室乗務員でした。
当時日本航空のアシスタントパーサーだった落合さんは勤務を終えて、大阪の自宅に戻る為に123便に乗客として搭乗しました。
落合由美さんの現在ですが、2015年の記事には大阪府内で暮らしていると報じられていました。
関係者によると、3年前に落合さんは日航社員らが対象の安全教育セミナーで講演し、事故前後の状況や自身の近況などを語った。何年にもわたる日航側の講演要請に対し、「社員も安全意識を持ってほしい」と初めて応じたという。
川上慶子さんの現在
川上慶子さんは助かることが出来ましたが、「日航機墜落事故」によって家族を失ってしまいます。
事故後、川上慶子さんは保健師だった母親の遺志を継いで看護師となって兵庫県の病院で働き始めます。
その後、川上慶子さんはアメリカを訪れたときに知り合ったアメリカ人と2002年に結婚します。
現在は看護師を辞め、息子2人と娘の母親となっています。
吉崎博子さんと美紀子さんの現在
母娘で助かった吉崎博子さんと美紀子さんは、東京都内の母方の実家で一緒に暮らしているそうです。※2015年時点の情報
吉崎博子さんは、「日航機墜落事故」によって夫と子供2人を亡くしてしまいましたが、娘の美紀子さんと共に助かることが出来ました。