2022年5月17日放送の『ザ!世界仰天ニュース』では中江滋樹さんが取り上げられます。
中江滋樹さんは「兜町の風雲児」といわれ一世を風靡しますが、巨額の詐欺事件「投資ジャーナル事件」を起こして逮捕されました。
最期は東京都葛飾区の自宅アパートの火事で亡くなるという結末を迎えています。
そこで今回は中江滋樹の家族と元アイドル歌手・倉田まり子の関係を中心にまとめていきます。
中江滋樹の妻や子供(息子)
名前:中江滋樹(なかえしげき)
生年月日:1954年1月31日
死因:2020年2月20日に自宅アパートの火災で死去 66歳
出身地:滋賀県近江八幡市
出身高校:滋賀県立彦根東高校
前科:1985年に詐欺で逮捕(投資ジャーナル事件) 2006年に放火未遂の現行犯で逮捕
中江滋樹さんは過去に結婚していましたが、離婚しています。
離婚した元妻との間には、娘や息子さんが5人いますが、晩年は家族とは連絡を取らなかったそうです。
元妻の名前は加代子。
上記の画像は30歳のときに加代子夫人です。
中江滋樹さんと同じ年齢だったみたいです。
中江さんと結婚する前に別の男性との結婚しており、前夫との間に子供が1人いました。
離婚後は子供を引きっていたので、中江滋樹さんの実子は4人だったみたいです。
加代子さんや子供たちから会うのを拒否されていたというわけではなく、
『自分のような者が近づくと申し訳ないと』自ら一線を引いて会わないようにしていたそうです。
詳しい結婚時期や離婚時期は不明ですが、1985年に詐欺で逮捕されて以降、家族とは絶縁状態になったそうです。
中江さんが「兜町の風雲児」と呼ばれていた全盛期は29歳~30歳頃でした。
この頃は、愛人も10人くらいいたということです。
女遊びも激しかったようなので、家族からはどのように思われていたのか気になりますが、
中江さん本人が家族に関することを話したことはほとんどなく、詳しいことは不明です。
投資ジャーナル事件で倉田まり子は引退
中江滋樹さんといえば、元アイドル歌手・倉田まり子さんとの関係が話題になりました。
現在倉田まり子さんは芸能界を引退して、本名・坪田まり子の名前でキャリアカウンセラーとして成功しています。
倉田さんが芸能界を引退するきっかけをつくったのが、中江さんが関与した「投資ジャーナル事件」です。
投資ジャーナル事件は 中江さんが1978年に設立したコンサル会社「投資ジャーナル」が由来となっています。
投資ジャーナルは投資関連雑誌を次々に創刊し、『兜町の風雲児』『希代の相場師』と中江さんはもてはやされます。
中江さんは2割のもうけを10回続ければ元手が2倍になるという「ツーバイツー理論」を掲げ、会員から巨額のカネを集めます。
最終的に投資家約7800人から総額約584億円を集めます。
しかし、資金を返しきれず警視庁が詐欺容疑で摘発。
中江滋樹さんはその捜査を避けるために、出資者から集めた100億円もの現金を持って妻や愛人らを連れて海外に逃亡しますが、逃亡から8ヶ月後の1985年6月19日に妻・加代子や愛人らと共に逮捕となりました。
妻・加代子とは逮捕後に離婚となったみたいですね。
なぜこの詐欺事件で倉田まり子さんが芸能界引退になったとかというと、
中江さんが逮捕される前に、倉田まり子さんと中江滋樹のツーショットが画像が掲載されたからです。
このツーショット画像から2人は愛人関係ではないかと囁かれます。
さらに、倉田まり子さんはちょうど、東京都目黒区の一等地に、7000万円とも見られる3階建ての豪邸を購入していました。
これが中江滋樹さんの愛人になった見返りで、中江さんが詐欺で集めたお金で購入したのではないかともいわれるようになります。
当時のマスコミも倉田さんが中江さんの愛人であり、投資ジャーナル事件で集められた現金の一部が倉田さんの新居購入金に流れたと書き立てました。
中江滋樹と倉田まり子の関係
結論から申すと、中江さんと倉田さんは愛人関係ではありませんでした。
2人の詳しい関係に諸説ありますが、愛人関係ではなかったことは確かで、仕事関係の付き合いでした。
税務署の調査によって倉田まり子さん側から、中江滋樹さんからの7000万円の借用書が発見され、豪邸の購入資金は借金だった事が判明
中江さんは倉田さんを引き抜いて芸能プロをつくる計画だったり、融資は倉田さんを投資先として考えていたことなどを明かしています。
中江滋樹氏は「倉田まり子とは4、5回デートしただけ。男女の関係はないよ」と恋人関係についてもハッキリと否定しています。
倉田さんも会見を開き、愛人説を否定しました。
疑惑は晴れましたが、騒動の余波は大きく、倉田まり子さんは芸能界を引退します。
引退後、倉田まり子さんは様々な職業を経験し、現在はキャリカウンセラーに転身。
結婚もされて娘さんも生まれたようですが、現在は離婚されているとのこと。
中江滋樹の生い立ちとwiki経歴
中江滋樹さんの出身は滋賀県近江八幡市。
父親が証券会社に勤務していたことから、小学生の頃から株や投資に興味を持っていたようで、
中学生の頃には株の「チャート」を研究していたそうです。
高校時代には授業中にこっそりとラジオを聞いて、株価をチェックし、休み時間になると公衆電話で株の売買注文していたそうです。
中江さんは高校卒業後には大学に進学せずに「三愛経済研究所」という投資関係の会社に就職。
毎晩、手書きでチャートを描いて株の値動きを研究し、入社してから3年が経った頃に独立します。
20代前半の頃に、株の動向などを予想し、会員向けにレポートで伝える会社を設立。
中江さんのレポートは「よく当たる」と評判になり、大阪の金融街で有名になります。
その後、すぐに上京し、「投資ジャーナル」社を設立。
投資顧問業として証券業界で活躍します。
中江が手がける株は、「N銘柄」と呼ばれ、大きな注目を集めるようになります。
当時の大手全国紙では、「顧客3000人、運用する資金は数百億円」などと報じられ、数々の証券会社が集まる東京・兜町では、いつしか「風雲児」と呼ばれるようになります。
社員からも経営手腕は評価されており、社内ではカリスマとして君臨していました。
中江さんは1984年、30歳のときに大きな勝負に出ます。
ある化学メーカーの株に狙いをつけて株価が上がると分析し、投資家からそれまで以上に多額の資金を集めようとします。
資金は次々に集まったが、肝心の株価がなかなか伸びませんでした。。
さらに「中江の扱う株は危険だ」という噂が流れてしまい、実際に買っていた株が軒並み暴落してしまいます。
これが上記で触れた投資ジャーナル事件です。
中江さんは、裁判で懲役6年の実刑判決が確定し、服役。
1992年10月に仮釈放となり出所しますが、その後は表舞台から消え、死亡説も流れました。
出所後は一時は海外に住んでいたそうですが、滋賀県の実家に戻ります。
2006年に滋賀県の自宅1階に灯油のようなものをまき、マッチで火を付けたとして放火未遂の容疑で逮捕されます。
投資ジャーナル事件の中江。検索してみたらその後もヤクザの金持ち逃げしたり放火未遂やら色々やらかしてんのな。この金曜の深夜にタモリの横で「言ってる〜」ってゲラゲラ笑ってそうなのが中江。やっぱり誰も憶えてないかこんな奴。兜町の風雲児。 pic.twitter.com/WlDRIQ6lqR
— 第4インター系 (@Lev1026) May 16, 2016
久しぶりに世間に中江滋樹の名前が出てきて、死亡説は否定されます。
放火未遂に関しては「犯行時に心神耗弱だった」として起訴猶予処分となります。
この頃から心身に不調をきたしたいたみたいです。
最終的には2012年頃から、東京・葛飾区にある6畳1間、家賃4万8000円のアパートに住むようになります。
そして、2020年2月20日、中江さんが1人で住む部屋が火事となり、焼け跡から遺体となって発見されました。
警察の捜査では事件性はないと発表されており、寝タバコが原因で火事になったとされています。