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長嶋茂雄お別れ会に一茂がいない?なぜ不仲になった?確執を詳しく解説!

2025年11月21日、長嶋茂雄さんの「お別れの会」(正式名称:ミスタージャイアンツ 長嶋茂雄 お別れの会)が、東京ドームで開催されました。

 

関係者の部(午前)では王貞治氏、松井秀喜氏、北大路欣也氏らが弔辞や献花を担当。一般の部(午後)も多くのファンが参列しましたが、報道では一茂さんの参列に関する言及は一切なく、写真や動画にも映っていません。

 

ネットで上では一茂さんが参加していないと、話題になっています。

 

本記事では一茂さんが参加しなかった理由と、父親・長嶋茂雄との確執についてまとめていきます。

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長嶋茂雄お別れ会に一茂がいない?

お別れの会当日の報道(読売新聞、日刊スポーツ、スポーツ報知、NHKなど主要メディア)では、長嶋一茂さんの姿は確認されていません。

 

関係者の部(午前)では王貞治氏、松井秀喜氏、北大路欣也氏らが弔辞や献花を担当。会場入りする家族・親族の写真や動画にも一茂さんは写っていません(三奈さん、長女・亜希子さんら他の家族は確認されています)。

 

一般の部(午後)も多くのファンが参列しましたが、一茂さんの参列に関する言及は一切なく、写真や動画にも映っていません。

 

どうやら、午前の関係者・招待客の部、午後の一般献花の部、どちらにも一茂さんは現れていないようです。

 

 

一方、6月の家族葬・告別式(近親者のみ)では一茂さんは参列し、棺を支えたり弔問客に対応したりしていました。

 

つまり、家族葬には参加したものの、公のお別れの会には不参加だった可能性が高いです。

一茂はなぜ参加していない?

明確な一茂さん本人のコメントはありませんが、過去の報道や状況から以下の要因が指摘されています。

 

  1. 長嶋家内の長期的な確執(特に次女・三奈さんとの不仲)
    • 喪主は一貫して次女の長嶋三奈さん(オフィスエヌ代表)が務め、葬儀・お別れの会の運営も三奈さん側が主導。
    • 2009年頃に表面化したトラブル(父の記念品無断売却疑惑、「長嶋茂雄」商標権を巡る対立)がきっかけで、一茂さんと三奈さん(および他の妹・弟)の関係が悪化。「10年以上会っていない」「家族断絶状態」と一茂さん自身が過去に証言したこともあります。
    • お別れの会は巨人軍・読売新聞グループ主催の公的イベントですが、実質的に三奈さん側が家族代表として関与しており、一茂さんが「顔を出しにくい」状況だったと見られます。
  2. 父・茂雄さんとの関係(晩年は疎遠)
    • 2004年の茂雄さんの脳梗塞以降、一茂さんは父とほとんど会っていなかった(一茂本人が「13年会っていない」「生きているうちに会うことは二度とないだろう」と公言した時期あり)。
    • ただし逝去直後には一茂さんがコメントを発表したり、家族葬では対応したりしていたため、完全な絶縁ではなく「距離を置いていた」状態。
  3. 宗教的・個人的事情
    • 一茂さんはカトリック信者で、仏式中心の日本式葬儀に違和感を持つ可能性が一部で指摘されています(ただし家族葬には参加したので、これは補助的な理由)。
  4. メディア露出・世間体への配慮
    • 一茂さんはタレントとして活動中。公の場で「確執」が再燃するのを避けた、または家族側から遠慮を求められた可能性。

なぜ不仲になった?確執を詳しく解説!

長嶋一茂さんと父・茂雄さん(および家族、特に妹の三奈さん)との不仲・確執は、2000年代後半から表面化しました。

 

「長嶋茂雄」ブランド(肖像権・商標権・記念品など)を巡る金銭的・権利的なトラブルが最大の確執原因です。

 

これがきっかけで家族間の信頼が崩壊し、10年以上にわたる「家族断絶状態」になりました。以下に時系列で詳しくまとめます(報道ベースで、一茂さん側と三奈さん側で主張が食い違う点もあります)。

 

確執の時系列まとめ

時期
主な出来事
詳細・影響
2004年
茂雄さん脳梗塞で倒れる
一茂さんが巨人球団の橋渡し役(特別補佐官)に就任。最初は協力関係だったが、茂雄さんのリハビリ方針や復帰時期を巡って一茂さんと三奈さん(当時テレ朝キャスター)の意見が対立し始める。
2007年
母・亜希子さん急逝(心不全、享年64)
家族の「つなぎ役」がいなくなり、溝が深まるきっかけに。以降、茂雄さんの資産・権利管理を誰が担うかが問題化。
2008-2009年
「長嶋茂雄」商標権トラブル
・三奈さん側「オフィスエヌ」が従来管理していた「長嶋茂雄」商標の更新期限が切れたタイミングで、一茂さんの個人事務所「ナガシマ企画」が無断で商標登録を取得(一部報道では茂雄さんを騙してサインさせたとも)。 ・三奈さん側が猛反発、弁護士を立てて争い、2010年に商標権はオフィスエヌに戻される。 → これで「一茂が父の名前を私物化しようとした」と家族側の不信感が爆発。
2009年
記念品・遺品無断売却疑惑
・田園調布の長嶋邸にあった茂雄さんの記念品(国民栄誉賞レプリカ、ユニフォームなど)や故・亜希子さんの愛用品を、一茂さんが家族に無断で福井県の博物館(山田コレクション、後に閉館)に売却したと報道。 ・一茂さんは「無断ではない」と否定したが、三奈さんはじめ家族は「大切な思い出の品を金に変えた」と激怒。 → これが決定的な絶縁の引き金になったとされる。
2009年6月
肖像権・マネジメント移管のお知らせ(オフィスエヌへ)
茂雄さん名義でマスコミ・スポンサーに通知書が送られ、一茂さんの「ナガシマ企画」が排除される形で三奈さん側が完全掌握。以降、一茂さんは茂雄さんの仕事から一切関われなくなる。
2010年代
一茂さん「相続放棄」公言、巨人アドバイザー職剥奪
・一茂さんがエッセーやテレビで「父の遺産はいらない」「13年会っていない」「生きているうちに会うことはない」と発言。 ・巨人球団からも「タレント活動優先」との理由で肩書剥奪(実質的な茂雄さん側との決別)。
2015年正月
TBS特番『長嶋茂雄の真実〜父と娘の40年物語〜』
茂雄さんと三奈さんの密着ドキュメンタリーで、一茂さんの存在が一切触れられず(名前すら出ない)。確執の深刻さを象徴する出来事として話題に。
2020年代
一茂さん「家族断絶状態」を繰り返し証言
・雑誌『ゲーテ』などで「父だけでなく妹たち・弟とも10年以上会っていない」と告白。 ・法廷(週刊新潮との名誉毀損訴訟)でも「長嶋家はもともとバラバラ」と証言。
2025年6月逝去
家族葬では一茂さんも参列・対応したが…
王貞治さんらの弔問に一茂さんと三奈さんが並んで対応する姿が見られた(一時的な「和解」のように報じられた)。 しかし11月のお別れの会は三奈さん主導で一茂さん不参加→確執が完全に解消されたわけではないことが再確認された。

なぜここまで深刻化したのか?(主な要因)

  1. 「長嶋茂雄」ブランドの利権争い
    茂雄さんの名前・肖像は巨額の価値(CM、グッズ、イベントなど)。一茂さんが一時的に管理していた権利を「横取りされた」と感じ、三奈さん側は「兄が独占しようとした」と反発。
  2. 母の死後の信頼崩壊
    亜希子さんが生きていた頃は家族の調整役だったが、いなくなった途端に金銭・権利問題が噴出。
  3. 一茂さんの性格・発言
    一茂さんは歯に衣着せぬ性格で、テレビやエッセーで家族批判めいた発言を繰り返したため、火に油を注いだ。
  4. 三奈さんの「守護者」意識
    三奈さんは茂雄さんの介護・仕事のほとんどを担い、「父の意志を守る」立場。一茂さんの行動を「裏切り」と受け止めた。
結果、一茂さんは長嶋家の中で完全に孤立し、父・茂雄さんとも13〜18年会わない状態が続きました。逝去を機に一部修復の兆しは見えたものの、お別れの会不参加で「まだ終わっていない」ことが明らかになった形です。
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