盛藤吉高の生い立ち・実家|深沢茂之裁判長の判決と経歴

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2020年5月31日、三春町の国道わきで清掃活動をしていた橋本茂さん(当時55)、三瓶美保さん(当時52)をトラックで故意にひき逃げし、殺害したとして一審の裁判員裁判で死刑判決を受けた盛藤吉高被告。

2023年2月16日に開かれた控訴審の判決公判で、仙台高裁は一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡したことが話題になっています。

いったいなぜ、死刑判決が破棄されたのでしょうか?

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盛藤吉高の生い立ち・実家

名前:盛藤吉高
年齢:53歳
職業:無職
住所:福島県伊達市

盛藤吉高は2020年5月、50歳のときに清掃活動中の橋本さんと三瓶さんを故意にひき逃げし、殺害したとして逮捕されました。

盛藤吉高は事件が起こる2日前に出所したばかりで、『出所後の生活に不安があり、刑務所に戻った方がマシだと思った』『(ひき逃げの対象は)誰でもよかった』などと供述していました。

逮捕当時、盛藤は郡山市の知人宅に滞在し、知人の経営する会社で働くはずでした。しかし、31日に知人のトラックを盗み、およそ5キロ離れた事件現場に向かい、国道を歩く2人を発見。

いったんは通り過ぎますが、Uターンして2人を襲いました。

 

 

盛藤吉高の実家は福島県内にあり、父親と兄の存在が週刊誌で報じられています。

 

父親は実直な人で、兄が後を継いだとデイリー新潮が報じているので、実家はなにか事業を行っていると考えられます。※父親は2019年に亡くなっています。

 

 

盛藤吉高の詳しい生い立ちは不明でしたが、以前は塗装の仕事をしており、結婚もしていたそうです。

しかし、逮捕当時は無職で、妻とも離婚していました。

 

盛藤はすぐにカッとなることがあり、パチンコ屋で球が出ないからと暴れて、警察の厄介になったことがあったそうです。

 

また、離婚した元妻の友人に、元妻の居場所を聞き出そうとして、車に連れ込んだら警察に通報されて、監禁で逮捕されたこともあります。

 

このように盛藤吉高は何度も警察の厄介になっていたようです。

深沢茂之裁判長の判決

盛藤吉高被告の一審の裁判員裁判では「殺意は明白で人命軽視の態度は著しい」として死刑が言い渡されました。

しかし、盛藤被告は判決を不服として控訴。

2022年6月9日に、仙台高等裁判所で開かれた控訴審の被告人質問では、

盛藤被告は「被害者や遺族に申し訳ないことをした」と謝罪した一方、事件当時の状況について
「被害者は避けることもできたんじゃないかなと思う」と発言。

盛藤被告の弁護側は「殺意はなかった」として、殺人罪ではなく傷害致死罪の適用を主張。

これに対し検察側は控訴の棄却を求めていました。

 

そして、2023年2月16日に仙台高裁で開かれた控訴審の判決公判で、深沢茂之裁判長は、「人が死ぬ可能性があると認識していたが、他人を殺害することが目的ではなく、刑務所に入ることが目的だった。生命軽視は明らかだが、生命軽視が顕著とまでは言えず、死刑がやむを得ないとまでは言えない」などとして、一審の死刑判決を破棄し、無期懲役を言い渡しました。

深沢茂之裁判長は判決理由で、一審同様に殺意を認めましたが、「刑務所入所が目的で生命軽視が顕著とまで言えない」と指摘しています。

深沢茂之裁判長の経歴

深沢茂之氏は1958年生まれの新潟県新潟市の出身。

専修大学法学部を卒業後の1985年に旧司法試験に合格しています。

3年後の1988年には裁判官に任官。

裁判官任官後も順調にキャリアを進めており、名古屋地裁、山形地裁、東京地裁などの判事を歴任。

2015年には横浜地方裁判所部総括判事に着任しています。

2019年には山形地方裁判所所長、山形家庭裁判所所長を務めています。

 

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