峰さを理wiki経歴|結婚せずに独身?実家はかまぼこ屋【若い頃の画像】

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元宝塚の男役トップスターで女優としても活躍した峰さを理さん(68)が亡くなったことが分かりました。

甲状腺がんのため都内の病院で亡くなったそうです。

今回は峰さを理さんのwiki経歴や結婚歴をまとめていきます。

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峰さを理wiki経歴【若い頃の画像】


芸名:峰さを理(みねさをり)、西崎峰(にしざきみね)
本名:安田峰子(やすだみねこ)
生年月日:1952年7月15日 68歳
身長:169㎝
血液型:B型
出身地:福井県敦賀市出身
学歴:福井県立敦賀高等学校出身
職業:女優 元宝塚歌劇団・星組・男役トップスター58期生

 

実家はかまぼこ店です。3歳から日本舞踊を始めます。

中学1年のときに観た宝塚の舞台に衝撃を受け、大阪でバレエのレッスンを受けながら宝塚を受験しようとします。

しかし、大阪の生活が合わず、すぐに地元の福井に戻ります。

その後、地元の高校に通いながら宝塚を受験し、合格。

高校卒業後の1970年に宝塚音楽学校に入学しますが、またも生活(先輩が厳しい・洗濯が嫌)が合わず、1週間で実家に逃げ帰ります。

この逃げ癖・中途半端さに父親もさすがに堪忍袋を緒が切れて、峰さんを厳しく叱責。

それからは、週末には実家に帰りながら宝塚に通う生活でなんとか逃げずに1972年に58期生として宝塚歌劇団に入団することが出来ました。

1973年に星組に配属され、「ロミオとジュリエット」「暁のロンバルディア」で主演を演じて活躍。

1983年に男役トップスターに就任。

1987年退団。宝塚退団後は女優・歌手・日本舞踊家(西﨑峰)として活躍。

 

学生時代は厳しい生活が耐えられない女性だったみたいですが、無事に乗り越え、星組トップスターにりました。相当努力されたんだと思います。

宝塚音楽学校の生活で「元来のわがままと起伏の激しさも直ったかな。我慢、忍耐、努力を教えられた」と話しています。

先輩が厳しかったと話していますが、実は耐えるだけでなクーデターを起こしています。

「上級生。特に1学年上の先輩は絶対的存在」と笑う峰さん。「もう時効ね」と断りながら音楽学校1年、予科生時代の“武勇伝”を明かす。「当時、上級生と話す時に『目を見てはダメ。胸元のボタンを見るように』という決まりでした。でも『これは変。人間らしくない』と予科生全員で訴えるクーデターを起こしました」。団結力を発揮し、それまでの伝統を塗り替えたという。

 

結婚せずに独身?

峰さを理さんはあまり私生活を明かされていませんが、結婚はされておらず、独身だったみたいです。

峰さん自身、結婚や出産の経験はないが、おいの世話やパーキンソン病の母の介護などと向き合ってきた。母は峰さんの長年のファンで、車いすに乗って応援に来るという。

定年時代

母親の介護をしながら芸能活動をしていたみたいです。

学生時代は峯さんが厳しい音楽学校の生活に耐えられるように「毎週日曜の夜にお弁当をいっぱい作って寮まで送ってくれた」「洗濯しなくていいように1週間分の着替えを持たされた」とサポートしていました。

両親に恩があり自身の結婚よりも母親の介護に力を入れていたみたいです。

母親の名前は登喜子さんです。2018年に亡くなりますが、母親とはとても仲がよく、一緒によくパチンコ屋に行っていたそうです。

甲状腺がんで亡くなる

元宝塚の男役トップスターで女優としても活躍した峰さを理さん(本名・安田峰子)が30日、甲状腺がんのため都内の病院で亡くなった。68歳だった。通夜・葬儀は近親者で行う。

関係者の話では、峰さんは昨年1月、コンサートに出演したときに「肩に違和感を覚える」と体調の異変を漏らしていた。しかし、コロナ禍の影響もあり、しばらく病院に行くのを我慢し、様子をみていた。検査を受診したのが7月ごろだったという。甲状腺がんと診断され、その後、肺への転移も見られ、29日に容体が急変。「本人はしっかりしておられ、自分の命が長くないことも把握していた。『最後の舞台は踊って終わりたい』とも語っていた」と話す。

コロナによる受診控えにより、病気が分かったときには既に手遅れだったみたいです。

甲状腺がんで肩に違和感で1年後に亡くなったということは、昨年の1月に違和感を感じた頃は病状はかなり進行していたかもしれないですね。

それでも早く病院で診察していれば・・・・残念です。

母親の介護や医療従事者への配慮、本当に優しい女性ですね。こんな素晴らしい方が亡くなるのはショックですね。

世間の反応

甲状腺はおとなしく、ガン化しても5年生存率は99パーセント。
ガン化してもあえて手術しない人もいますが、まさかの1パーセントにあたってしまったのですね。

峰ちゃんがトップになってから、私の星組オシが始まりました。
我が愛は山の彼方に、哀しみのコルドバ、この2つは大好きでした。歌は勿論、包容力のあるお芝居も大好きでした。

 

甲状腺がんに私もかかりました
50迄は おとなしいがんがそうですが
50歳過ぎると、悪質なガンに変わる人もいるそうです。

 

美しい方でした
歌声はつややかで劇場を包み込んだ。
わが愛は山の彼方に、紫子、西海に花散れど、哀しみのコルドバ、etc
名舞台の数々は今も宝塚の財産になって再演されてます。

 

亡くなられた経緯を考えると、どうしてももっと早く病院を受診していればと考えてしまいますね。

峰さを理さんのご冥福をお祈り申し上げます。

 

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