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益田千栄の現在と生い立ち【仰天ニュース/福岡・赤池町保険金殺人事件wiki】

2024年11月12日の【仰天ニュース】では、1990年12月に起きた「福岡・赤池町保険金殺人事件」が取り上げられます。

 

無理心中を装い、2人の男女殺害したとして、小田義勝(事件当時42歳)と雇われ社長の益田千栄(事件当時20歳)が逮捕されました。

 

本記事では益田千栄について詳しくまとめていきます。

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福岡・赤池町保険金殺人事件とは?

1990年12月28日、福岡県田川郡赤池町の総合運動公園駐車場に全焼した車が放置されているのが見つかります。

 

車内からは無職の白石健さん(当時27歳)と北九州市の宝石店従業員・蔭西生代さん(当時20歳)の遺体がありました。

 

2人には刺し傷があり、ダッシュボードに遺書らしきものがあったため、警察は無理心中として処理します。

 

しかし、蔭西さんに1億円の保険金がかけられていたことが判明したため、警察は心中を装った保険金殺人の疑いが濃厚になり、本格的な捜査が開始されます。

 

 

警察は保険金の受取人である益田千栄を重要参考人として取り調べます。

 

 

 

益田は雇われ社長に過ぎず、実際に会社を興したのは小田義勝でした。

 

 

小田義勝は定職に就かずに犯罪でカネを稼ぐ前科者で何度も刑務所に出入りしていました。

 

小田は従業員募集に応募してきたアルバイトの益田を社長に据え、社名を「マスダ宝石」とします。

 

益田は小田に惚れては恋人関係になり、益田は小田の言いなりになります。

 

 

 

小田は何でもいうことを聞くようになった益田に「宝石店で女性従業員を募集し、多額の保険金をかけて殺害。更にテレクラでみつけた男を犯人に仕立てる」という、残忍な保険金殺人の計画を持ち掛けます。

 

小田と益田は、保険金殺人のために採用した蔭西生代さんに1億円の保険金を掛けます。

 

更にテレクラでターゲットとなる白石健さんを見つけます。

 

 

 

小田と益田は、1990年12月25日に保険金殺人計画を実行します。

 

蔭西生代さんを殺害し、白石健さんには遺書を書かせた上で、殺害します。

 

無理心中を装うため、白石さんの車に2人の遺体を乗せた状態でガソリンをかけて車を燃やします。

 

遺体が発見された後、警察は無理心中として処理したことから、計画は上手くいったように見えました。

 

しかし、蔭西さんに1億円の保険金がかけられていたことから、警察の捜査が自分たちに及ぶと、小田と益田は東京に逃亡。

 

福岡県警は「無理心中を装った保険金目殺人」と断定し、1991年10月11日に小田と益田を殺人容疑で指名手配した。

 

その後、逃亡3年目に小田が逮捕されます。

 

益田は行方知らずのままでしたが、2000年4月29日に福岡県警・田川警察署に出頭して逮捕に至りました。

益田千栄と小田義勝の現在


2000年3月15日、小田義勝は福岡地裁の第一審判決で死刑を言い渡されます。

 

弁護側が控訴しますが、小田が取り下げたため死刑が確定することになります。

2007年4月27日に死刑が執行されています。※享年59歳

 

 

主犯が小田義勝であったことから、共犯の益田千栄には無期懲役の判決が下されており、現在も服役中となっています。

 

益田千栄の生い立ち

益田千栄の実家は広い庭に高い塀がある邸宅で、お金に困るような生活ではありませんでした。

 

益田千栄自身も優秀で、福岡の名門高であるT高校の家政科に在籍していました。

 

ただ、千栄自身は暗い性格で、高校時代の益田千栄を知る人物は、益田について「あまり目立たない、陰にいるような存在」と話しています。

 

高校卒業後、益田千栄は小田の会社にアルバイト従業員として入社してしまい、前述したした通り、大きく人生の歯車が狂ってしまいます。

 

20歳という若さで雇われ社長になってしまい、小田に惚れて言いなりになってしまい、凶悪事件を引き起こすことになってしまいます。

 

 

事件を起こした後、益田千栄は小田と共に東京に逃亡します。

 

 

東京で小田が窃盗を繰り返し、益田はテレクラを利用した売春で生活費を稼ぎます。

 

 

逃亡生活3年目となった1993年に小田は、埼玉で強盗に失敗したことから現行犯逮捕されます。

 

小田が逮捕されたことを報道で知った益田は、売春しながら逃亡生活を続けます。

 

逮捕された小田は、益田について黙秘を続けたため、警察は益田の足取りを掴むことが出来ませんでした。

 

その後、益田は逃亡生活を続けますが、小田の死刑が確定した2000年3月に事態は急転します。

 

小田の死刑確定を知った益田は、自殺をしようとします。

 

しかし、自殺を思いとどまり、出頭することを決意。

 

益田は出頭する前に実家に寄りますが、家族に会うことは出来ず、電話に「長い間ご迷惑かけてすみません。今から出頭します」というメッセージを残します。

 

そして2000年4月29日に福岡県警田川警察署に出頭します。

 

その後の裁判で無期懲役の判決が下ります。

 

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