小嶺忠敏監督の死因|現在の画像や妻と娘|病名(持病)は何?【がん】

スポンサーリンク

長崎・国見高で監督を務め、03年度大会まで戦後最多6度の選手権Vを飾った小嶺忠敏さん(76)が1月7日に亡くなったことが明らかになりました。

 

 

スポンサーリンク

小嶺忠敏監督の死因はがん?病名(持病)は何?

小嶺忠敏監督の死因は肝不全だったと時事通信が報じています。

親しい関係者によると、数年前から、肝臓など内臓を患い、持病の悪化し闘病を続けていたと報じられています。

小嶺忠敏監督について検索するとサジェストには『がん』と出てきますが、小嶺忠敏監督が癌だった事実は確認されていません。

小嶺監督の持病についても不明でした。

 

現在の画像

小嶺忠敏監督は去年の12月頃から体調を崩し、昨年末に開幕した第100回全国高校サッカー選手権でも、長崎総合科学大付が出場していたが、初戦から体調不良でベンチ入りしていませんでした。

2014年頃の画像と現在の画像を比べると、かなり痩せてしまっていますね。

激やせしてしまったことから『がん』ではないかと噂になっていたみたいです。

 

小嶺忠敏監督の妻と娘

小嶺忠敏監督は結婚しており、妻の名前は厚子さんです。

2017年に厚子さんは67歳と報じられているので、現在はの年齢は71歳前後です。

2人の間には娘さんが3人いますが、

忙しく家族と過ごす時間はなかったそうです。

小嶺監督は平日も週末もなく、ずっと高校のグラウンドでサッカーの指導。

「お正月」もずっと、高校サッカー選手権大会でした。

3人の娘に対しては「サッカーが、おれの生きがいなんだ。お前たちには申し訳ない」と思っていますと話していました。

小嶺忠敏監督には息子さんもいるという噂がありましたが、子供については娘が3人いるという情報しか確認できませんでした。

スポンサーリンク

小嶺忠敏監督の経歴

 

小嶺忠敏監督は1945年6月24日生まれ長崎県南島原市(旧堂崎村)出身。

島原商でバレーボールからサッカーに転向。

1968年に大阪商業大学を卒業後、母校である長崎県立島原商業高等学校で教員を務め、1984年、長崎県立国見高等学校に赴任。

全国高校サッカー選手権大会で戦後最多タイ6度の優勝に導いた実績を持っています。

1996年にJFA公認S級コーチライセンスも取得。

小嶺監督が指導した国見高校サッカー部は高木琢也、三浦淳宏、大久保嘉人、平山相太をはじめとする日本サッカー界を代表する選手を輩出しています。

 

2006年3月に国見の校長を定年退職後も、総監督として指揮した。

2007年1月9日に総監督を辞任し夏の参院選長崎県選挙区に自民党公認で出馬も落選。

 

その後、V・ファーレン長崎社長などを経て、現在は長崎総合科学大教授で、同大付属高サッカー部監督も務めていました。

タイトルとURLをコピーしました