6月28日放送の【仰天ニュース】では伝説のギャンブラー・柏木昭男氏が取り上げられます。
柏木氏はトランプ元大統領にカジノでギャンブル対決をしたことが有名ですね。
そこで今回は柏木昭男についてまとめていきます。
柏木昭男wiki経歴
柏木昭男は1937年生まれの山梨県富士吉田市出身。
宮大工の父を持ち、中学卒業後は農業を手伝ったり富士山の強力で身を立てていきます。
1960年に親戚と一緒に不動産業に携わり、1969年に「柏木商事」を設立。
「山梨の不動産王」として名を馳せ大成功します。
しかし、大成功の裏には強引に金を貸し付けて地上げを行ったりと荒っぽい手口で悪評が絶えませんでした。
地元では「笑顔を見たことがない」など変人扱いされていたそうです。
経済的成功を収めた柏木氏は、儲けを思う存分ギャンブルにつぎ込みます。
1979年頃からは海外のカジノでギャンブルを始めます。
晩年にはアメリカ元大統領のドナルド・トランプ氏とカジノ運営者VSハイロールのギャンブラーという構図で大勝負を繰り広げます。※詳しくは後述
1990年にはオーストラリアのカジノで約23億円も儲け、世界中にギャンブラーとして柏木さんの名前は知られることになります。
しかし、その2年後の1992年に山梨県の自宅で死体となっているところを発見されました。享年54歳でした。
柏木さんは刃物で十数カ所をメッタ刺しされており、殺人事件として捜査。
事件から1ヵ月後に暴力団幹部の男性を柏木さん殺害容疑で、
男性と親しい女性を証拠隠滅の容疑で逮捕されていますが、逮捕された2人は否認を続け、凶器などの証拠も見つからなかったため釈放されています。
結局、犯人を特定できず、未解決となりました。※2007年に時効成立
実は柏木さんはギャンブルで負けたことも多く、多額の借金もありました。
ギャンブルで負けたお金の返済もしていなかったので、柏木さんに恨みを持つ人物は多く、当時は防犯カメラもなく犯人が誰なのか分からなかったみたいです。
柏木昭男の息子と妻
柏木昭男氏は結婚しており、妻と3人の子供がいたみたいです。
柏木さんの家族については不確定な情報も多く詳細は不明となっていますが、2016年に柏木さんの次男がFLASHの取材に答えています。
息子さんが2人いることは確定しています。
柏木昭男とトランプの対決
柏木昭男氏は海外でギャンブルを行うようになり、カジノで大金を賭けるハイローラーとして有名になります。
ハイローラーの中でも超高額のベットを繰り返すホエールと呼ばれるようになります。
柏木氏には世界中の大手カジノからの招待状が殺到。
その中に巨大ホテル「トランプ・プラザ」を運営するトランプ氏がいました。
当時、不動産業界が不況に見舞わており、カジノも苦境に陥っていました。
カジノが苦境を乗り切るために必要だったのが、世界的に有名な「ハイローラー」を招待することでした。
1回20万ドル(当時、約3000万円)、1200万ドル(同18億円)を上限に勝負する柏木さんは、カジノにとっておいしい客でした。
1990年2月:1回目の対戦
トランプ氏は有名だったハイローラーの柏木昭男をバカラで対決しようと自らのカジノへ招待。
トランプ・プラザで行われたバカラ対決の結果は2日間に及び、柏木昭男は600万ドルを勝ち取り日本へ帰国します。
対決の結果トランプ・プラザは財政状況を悪化させ、アトランティックシティで最も資金難のカジノとなります。
1990年5月:2回目の対戦
負けず嫌いのトランプは敗戦したままでは腹の虫がおさまらず、対決の3ヶ月後、再戦を持ちかけます。
再戦が始まり、柏木氏はは900万ドル以上も勝っていたものの、勝負をやめずに続行。
すると、柏木昭男は運に見放されたのか10時間後には1000万ドルも負けてしまいます。
2回目の対決はトランプ氏が見事リベンジを果たしました。
柏木昭男の豪邸(自宅)の現在
1992年1月に柏木昭男さんが亡くなったときに家族はいちご狩りに出かていました。
風邪気味だった柏木氏は1人家に残っていました。
家族がイチゴ狩りから帰宅した時に柏木さんの遺体を発見します。
柏木昭男さんの自宅は柏木御殿と呼ばれ、河口湖を望む400坪の土地に建てた時価50億円と推定される総ケヤキ造りの豪邸でした。
高い白壁で囲われた豪邸を見て、寺院だと勘違いする観光客も多かったそうです。
現在は柏木御殿は温泉施設になっているみたいですね。
温泉施設の名前は検索すると出てきますが、風評被害の可能性もあるため、施設名は伏せます。
ご容赦ください。