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稲田千秋のwiki経歴と大学・高校|結婚して旦那は稲田真【結婚】

2025年6月26日、南米ペルー最高峰のワスカランで、登山中だった日本人の女性2人が遭難したと報じられました。

 

遭難したのは医師で、国際山岳医でもある稲田千秋さん(40)とクライミングパートナーの寺田紗規さん(35)です。

 

右の女性が寺田紗規さん。左の帽子の女性が稲田千秋さん。

 

2人は救助隊に発見されましたが、その場で稲田さんの死亡が確認されました。

 

寺田さんは救助隊が到着した際、意識はあったということですが、詳しい安否は不明となっています。

 

本記事では亡くなった稲田千秋さんについてまとめていきます。

 

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稲田千秋のwiki経歴

稲田千秋医師は1984年生まれの東京都出身です。

形成外科医および国際認定山岳医として活動しています。

学生時代から登山、クライミングに熱中し、登山歴は15年以上。

 

 

体は鍛えられており、ものすごい筋肉をしています。

 

現在はフリーランスで世界中を旅しながらクライミングを楽しむ傍ら、国際認定山岳医として、日本の山岳医療発展のため活動しています。凍傷の初期治療、高山病対策についての専門知識を有し、学術集会やメディアで情報発信も行っていました。

 

資格・認定

・形成外科専門医。

・2015年:日本登山医学会認定 国際認定山岳医(Diploma in Mountain Medicine)取得。

・日本医師会認定産業医。

稲田千秋の登山スタイルと登山歴

稲田さんは約15年前(2004年頃、20歳前後)に登山を始め、当初は日本百名山制覇を目指していました。

1年後にはバリエーションルート(一般的な登山道以外の技術的なルート)に挑戦。

沢登り、雪稜登攀、アイスクライミングなど多様な登山スタイルを追求しました。

 

その後、フリーランスとして世界中を旅しながら、ヨセミテやジョシュアツリー国立公園などでクライミングを行い、国内外の山を制覇する活動を続けていました。

 

2016年に、ヨセミテ国立公園のエル・キャピタンにある有名なクライミングルート「The Nose」を完登。世界的なクライミングの聖地でのこの達成は、彼女の技術力の高さを示しています。

稲田千秋の大学・高校

稲田千秋医師は2003年に神奈川県立横浜翠嵐高等学校卒業、2009年に防衛医科大学校医学部医学科卒業しています。

2009年から防衛医科大学校病院で初期臨床研修。

2011年に防衛医科大学校病院形成外科勤務。

その後、形成外科専門医として活動し、社会福祉法人緑樹会ほくと診療所に所属し、登山医学に関する講演や研究にも携わっています。

 

大学時代は、声楽から登山まで何でもこなし、男子を上回る肉体的・精神的キャパを持ち、幅広い分野で活躍する多才な人物として知られています。

 

 

大学在学中は「防衛医大の歌姫」、「スーパーレディ」として名を馳せていたそうです。

 

旦那・子供

稲田千秋さんは結婚しており、旦那さんは稲田真さんです。

 

ともに防衛医科大学校出身の医師で、稲田真さんも国際認定山岳医です。

夫妻は医師として働くかたわら、週末になると山々へ赴き登山やロッククライミングを楽しんでいました。

いつでも登りに行ける環境で山の息吹を感じながら生きていきたいと、2021年に東京から山梨県北杜市明野町に移住しています。

山梨県移住後に「楓くん」という名前の子供が生まれています。

山梨県移住後に生まれているので、お子さんの年齢は3歳前後だと思われます。

 

 

 

稲田真さんは航空自衛隊に医官として任官、低圧環境の訓練・研究に従事していました。

 

しかし、2022年に自衛隊での活動の限界を感じ、現在は航空関連分野へ転身されています。

 

遭難について

ペルーの報道によると、稲田千秋さん(40)とクライミングパートナーの寺田紗規さん(35)は約2週間前にペルーへ入国。

 

その後、ガイドなしでワスカラン山(標高6768メートル、ペルー最高峰)にアタックしていたようです。

 

6月24日、標高およそ6500メートル付近で稲田さんが低体温症により動けなくなり、救助を要請。

 

ペルーの救助隊が捜索に乗り出しましたが、標高や天候の影響で救助活動は難航。

 

救助隊が25日に2人を発見しましたが、稲田千秋さんは現場で死亡と判断されました。

 

寺田さんは意識がある状態で病院に搬送され、治療を受けていますが、詳しい容体は不明となっています。

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