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藤田小女姫の黒幕と福迫雷太の生い立ちと犯人【真相】

2024年10月14日、「霊感占い師・藤田小女姫親子殺人事件」で、殺人の罪で30年間服役していた福迫雷太受刑者が刑務所内で刺殺されるという事件が起きました。

 

 

福迫雷太受刑者が刺殺されたことにより、藤田小女姫親子殺人事件に注目が再び集まっています。

 

本記事では藤田小女姫親子殺人事件について詳しくまとめていきます。

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藤田小女姫親子殺人事件の概要

天才霊感少女として名をはせた藤田小女姫(ふじた こととめ)さんは、政財界はじめ各界の大物たちにも占いで助言をするほどの人気占い師でした。

 

小女姫さんは35歳でハワイに移住。

ハワイでは占い師としてのイメージを一新して、経営コンサルタントとして新たなキャリアを築き上げます。

 

推定資産2億円以上を保有するまでになり、ハワイでは裕福な生活を送っていました。

 

このまま幸せな生活が続くかに思えたなか、1994年、小女姫さんは自宅マンションで射殺された後に放火されて殺害されます。※享年56歳

 

さらに、自宅マンションから約4km離れた場所では、小女姫さんの20歳の息子さんが同じ手口で殺害されていました。

 

警察は小女姫さん親子が同じ手口で殺害されていたことから、同一犯の犯行として捜査。

 

捜査の結果、小女姫さん息子の友人でもあった福迫雷太が逮捕されました。

 

 

福迫は犯行後に日本に帰国し、小女姫さんの宝石などを質入れしようとしたとして逮捕されます。

 

1980年に施行された日米犯罪人引渡条約に伴う初の適用例で米国に身柄を移送されて終身刑の有罪判決を受けました。

 

 

藤田小女姫事件の黒幕【真相】

逮捕された福迫雷太は当初から無実を訴えており、弁護側も、福迫の単独犯とした検察の主張とは真っ向から対立しました。

 

公判が進む中、福迫は当初の完全否認から一転して遺体の運搬への関与は認めます。

 

しかし、殺害自体は別の実行犯の存在を主張。さらに 親族への危害を恐れて詳細は語れないと説明します。

弁護側も、検察側の主張に生じる矛盾点も指摘します。

 

検察側の証拠・主張
・防犯カメラに記録された不審な行動
・福迫のアパートから発見された血痕のDNA鑑定結果
・質屋での取引記録
・犯行に使用された銃弾との照合結果
・複数の目撃証言
弁護側の主張
・事件発生時刻の別場所でのアリバイ映像
・3キロの距離を4分で移動することは不可能
・2人を単独で拘束・殺害することが物理的困難
・主犯(黒幕)の存在を示唆する証言

 

 

 

多くの疑問・矛盾点が出ますが、1995年5月に陪審員の評決により福迫には終身刑が言い渡されます。

 

 

 

 

服役中に福迫は日本のマスコミに事件の真相を話します。

 

 

 

 

福迫雷太は、事件が起きる前に藤田小女姫さんから恐喝を受けて多額の金銭を要求されたと相談を受けます。

 

 

 

そこで、福迫雷太は東京で金融業を営んでいた在日北朝鮮人の「K」という人物を藤田小女姫さんに紹介します。

 

藤田小女姫さんはこのKから200万ドルを借りますが、この200万ドルが実は北朝鮮で作られた偽札でした。

 

Kは藤田小女姫さんにある期限までは、この偽札を使わないように条件をつけます。

 

しかし、藤田小女姫さんの息子さんが、その約束を破って偽札を使ってしまいます。

 

福迫雷太はKからこの偽札の回収を命じられますが、回収先でトラブルが発生。

このトラブルが藤田小女姫親子殺害事件に発展したということです。

 

 

さらに藤田小女姫親子殺害事件の2ヶ月後、藤田小女姫さんに金を貸した金融業者のKも東京の自宅前で何者かに射殺されたということです。

 

 

 

藤田小女姫はこれまでの占い師の仕事で顧客の政財界の大物から聞いた重大な秘密を黒い手帳に書き留めており、その手帳を「ブラックノート」と呼んでいたそうです。

 

そして、Kから200万ドルを借りる際にこのブラックノートを担保としてKに渡していたのだそうです。

 

福迫雷太はこのブラックノートの存在を危険視した何者かによってKが消された事を匂わせています。

福迫雷太の生い立ち

 

 

福迫雷太の父親は週刊サンケイの記者であった福迫千春氏、母親の名前は茂代さんです。

父親は既に亡くなっており、茂代さんは御存命で94歳です。※2024年10月時点

 

福迫雷太の詳しい経歴や生い立ちについては不確定なことも多く、ハッキリとしたことは分かっていません。

 

 

福迫雷太についてまとめると、以下のようになります。

 

福迫雷太は開成中学に入学しますが、中退。中学中退後はアメリカに留学して、カリフォルニア州立大学に通っていたとの情報があります。

日本人留学生グループと輸入ビジネスのような事を始め、暴力団関係者などを相手のビジネスをしていたようです。

この頃に、銃の不法所持により4度逮捕されており、暴力団関係者との繋がりができたとも言われています。

その後、在日北朝鮮人の「K」が経営する金融会社と関わるようになり、その会社に勤めるようになります。

 

 

1994年3月30日に藤田小女姫親子殺害事件で起訴され、1995年の終身刑が確定。

 

服役中は模範囚として生活。

 

全身がんを発症し治療しながら服役生活を送ります。

 

2024年10月14日に同房の38歳の受刑者により刺殺されて、59歳で亡くなりました。

 

 

福迫雷太を殺害した犯人

福迫雷太を殺害した犯人の名前や、動機などは報道されていませんでした。

 

 

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