藤城康孝の顔画像と生い立ち・経歴【加古川7人殺害事件】

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2021年12月21日に確定死刑囚3人の死刑を執行されました。

死刑が執行された3人の内の一人である藤城康孝死刑囚について取り上げます。

妄想被害に犯行だったと噂になっていますが、どのような人物だったのでしょうか?

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藤城康孝の顔画像

藤城康孝死刑囚(65)は2015年に刑が確定。

最高裁判決によると、藤城死刑囚は周囲から見下されていると思い込み、2004年8月2日未明、自宅の両隣の家に包丁と金づちを持って相次ぎ侵入。親族ら計7人を刺殺し、自宅に放火するなどし、逮捕されました。

死刑の執行の命令は判決確定の日から6カ月以内にしなければならない旨が規定されていますが、

上訴権回復、再審請求、非常上告がるときはその期間は6カ月に算入されないことになっているみたいですね。

現在は死刑確定から執行までの平均期間は、8~10年となっているみたいですね。

藤城死刑囚の刑執行は平均よりは早いですね。

藤城康孝の生い立ち・経歴

藤城康孝の生年月日は1956年12月5日生まれの65歳。

藤城康孝は47歳の2004年8月2日に兵庫県加古川市で母親と一緒に暮らしていた自宅の両隣の家で暮らす伯母や隣人ら計7人を相次いで殺害しました。

 兵庫県加古川市で母親と一緒に暮らしていた藤城が両隣の家で暮らす伯母や隣人ら計7人を相次いで殺害したのは04年8月2日のこと。深夜3時ころに被害者らが就寝中の家に侵入し、金づちで頭部を乱打したり、骨すき包丁でメッタ刺しにするという身の毛もよだつ凶行だった。

さらに藤城は7人を殺害後、「事件を報じるテレビに汚い家が映らないように」という特異な考えから自宅に火を放ち、全焼させる。そして犯行後は自ら命を絶とうと車を運転して壁に激突させ、助手席に火をつける。しかしガソリンに引火して一気に燃え上がり、驚いて車から逃げ出したために警察に捕まったのだった。

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藤城康孝の父親は大手製鋼会社に勤めていました。

藤城康孝は幼少期から日常的に暴力沙汰を起こしており、両親は矯正させるために、全寮制の日生学園へ入学させます。

しかし、そこでもたびたびトラブルを起こしていました。

なんとか卒業して、飲食店などで働き始めますが、長続きせず、職を転々。

20代の頃には料理の勉強のため海外に渡るが、すぐに帰国。

事件の4年前頃には自宅横のプレハブ小屋でパン製造を始めますが、2年ほどで辞めてしまいます。

パン屋を辞めた後、さらに凶暴になっていったそうです。

その凶暴さは父親が会社を退職後に「このままでは息子に殺される」と言い残して、家を出るほどのものでした。

事件当時は母親と藤城康孝の2人暮らしでした。

藤城康孝の犯行の動機ですが、

被害者に見下されたりバカにされたりしていると感じて怒りを募らせたのが動機とされています。

藤城は事件前、近所の人たちが立ち話をしているだけで悪口を言われたと思い、突然怒鳴りつけるなどのトラブルを頻発させ、地域で怖がられる存在だったとされる。裁判では第一審、控訴審共に完全責任能力があると認められたが、実はその判断は際どいもので、精神鑑定を行った2人の医師のうち1人は藤城が「妄想性障害」だという見解を示していた。筆者は本人に会い、裁判では否定されているこちらの鑑定結果が実は正解ではないかという疑念を抱かざるをえなかった。

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藤城康孝は妄想性障害による心神耗弱状態だったのではないかともいわれてましたが、裁判で責任能力があったとし、神戸地裁は求刑通り死刑判決を言い渡しました。

最高裁が2015年6月に上告を棄却し、死刑が確定しました。

2021年12月21日に刑が執行されました。

 


 

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