みつリン食堂

比嘉和子の現在と夫|子供を妊娠しなかった理由とブロマイド画像

2022年6月15日放送の『ワールド極限ミステリー』ではアナタハンの女王事件が取り上げられます。

アナタハンの女王事件とは孤島に取り残された32人の男が、比嘉和子という1人の女性を巡って争い、不審死や行方不明者が続発した事件です。(1945年~1950年頃)

そこで今回は比嘉和子についてまとめていきます。

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アナタハン島の事件について

アナタハン島とはフィリピン海に浮かぶマリアナ諸島の
一つです。

第一次世界大戦後、日本はマリアナ諸島を委任統治していましたが、

第二次世界大戦終盤、アメリカを中心とした連合国軍が日本の要衝サイパン陥落を目指し、アナタハン島にも激しい爆撃を加えます。

 

アナタハン島民は島から脱出しましたが、その時に軍人を含めた32人が島に取り残されてしまいます。

その中に日本人男性・比嘉菊一郎と比嘉和子でした。

 

比嘉和子(ひが かずこ)
生年月日:1924年(大正13年)8月5日
死没年月日:1974年(昭和49年)
出身地:沖縄県
死因:脳腫瘍

 

比嘉菊一郎と比嘉和子は姓が同じ比嘉ですが、たまたま同じだっただけで家族ではありません。

比嘉菊一郎と比嘉和子はそれぞれ伴侶がいたが、戦争の影響で離ればなれになっていた

 

島でたった一人の女性となった和子は、32人居る男性の性的対象となってしまうという身の危険を感じ、比嘉菊一郎と夫婦であると偽り、男たちから離れて同居。

 

男たちも船ごとにそれぞれ集団をつくって暮らしていましたが、和子をめぐって男たちが争い始め、不可解な死や行方不明者が続出。

最終的に13名の男が死亡・行方不明となります。

 

争いのきっかけとなったのが、島で墜落したアメリカ軍の爆撃機B-29の中にあった2丁の拳銃です。

銃を手にした2人の男性が権力を持つようになりました。

和子は自分の身を守るたに、自分と比嘉菊一郎、そして拳銃を持つ
2人の男性との4人の奇妙な生活を営むことになります。

最終的に和子は島で4人の男達と夫婦関係を結ぶことになり、性行為もするようになります。

 

島に拳銃が持ち込まれたことで、和子をめぐって殺し合いが始まり、5年の間に32人もいた男性は19人になります。

争いの火種になる和子を処刑しようとする話もでますが、

1950年6月に偶然アナタハン島を巡回していたアメリカ軍の船に和子が発見され、日本気に帰国することになります。

 

アナタハン島の事件は当事者の証言のみで伝えられているので、実際は比嘉和子を巡って男たちが死んだのではなく、ほとんどの男が病気やただの喧嘩で亡くなったともいわれています。

 

比嘉和子の略歴
・0歳:沖縄で生まれる
・18歳:サイパン島へ出稼ぎに
・20歳:パガン島で比嘉正一と結婚
・22歳:アナタハン島に移住、夫とは戦争の影響で離ればなれに
・23歳:女1人+男32人の生活スタート
・28歳:アメリカ軍に投降して、日本に帰国する
・34歳:2人の連れ子がいる男性と再婚
・43歳:再婚相手の男性が亡くなる
・49歳:脳腫瘍で死去

 

比嘉和子の現在

比嘉和子は沖縄県出身ですが、14歳の頃に両親が亡くなり、兄を頼ってサイパンに渡ります。

マリアナ群島のパガン島でカフェの女給として働くようになり、最初の夫・比嘉正一さんと出会います。

そして、アナタハン島で起きた事件に巻き込まれていきます。

 

比嘉和子は1950年6月にアメリカ軍に保護され、28歳で日本に帰国します。

 

 

沖縄に帰った和子は、夫・比嘉正一が既に別の女性と結婚して子供もできていることを知ります。

そのため、和子は1人で暮らすことになり、

自らの生計を立てるために複数の料亭で働き始めます。

当時、日本ではアナタハン島での出来事が面白おかしく報道されたため、アナタハンブームが起きます。

世間から隔離された孤島で一人の女性をめぐり、男たちが争った事件に多くの人が注目。

 

そのため、和子が働くお店は、和子目当ての客で大繁盛したそうです。

 

地元劇団の舞台では「アナタハンの女王蜂」が上演されるほどのブームで、事件を再現した映画「アナタハン島の真相はこれだ」も上映されます。

 

なんと本人役で比嘉和子さんも出演しています。

しかし、映画はヒットせず、比嘉和子さんの演技もかなり酷かったそうです。

しかも、出演料も200万円という話でしたが、実際は5万円で、それすらもきちんと支払われませんでした。

 

次第にアナタハンブームも下火になり、

比嘉和子は、地元沖縄で南宋楼という旅館で仲居として生計を立てます。

その後、「アナタハン」という名前の食堂を開き商売を始めますが、地元メディアは比嘉和子のことを「女王蜂」などと嘲って書き立てます。

そうした報道に耐えきれなくなった和子は本土へと渡り、ストリップ劇場で活動します。

しかし、比嘉和子の名前を利用しようと興行師が群がり、再び沖縄に戻ります。

その後、沖縄で2人の連れ子のいる男性と知り合い再婚。
その後、比嘉和子は34歳のときに2人の連れ子のいる男性と再婚します。

再婚相手と一緒にたこ焼き屋さんを始めます。

 

再婚してから9年後に夫に先立たれ、比嘉和子も脳腫瘍を患い1974年に亡くなりました。

子供を妊娠しなかった理由

比嘉和子には結婚歴が2回あり、島でも4人の男達と性行為をしましたが、妊娠はしていません。

なぜ子供を妊娠しなかったかというと、不妊症だったからだといわれています。

実は比嘉和子は最初の夫との間に第一子を妊娠していました。

しかし、アメリカ軍からの爆撃の影響から流産。

流産したことにより、不妊症になったといわれています。

比嘉和子の直系の子孫はいないということになります。

比嘉和子は再婚相手に先立たれますが、連れ子との関係は良好で本当の親子のような関係だったそうです。

比嘉和子のブロマイド画像

アナタハンブームだった時には比嘉和子のブロマイド写真も売られていました。

ブロマイド写真は飛ぶように売れたそうです。

 

実際に売られていたブロマイド写真の画像が気になりますね~

彼女のブロマイド写真について調査したところ、比嘉和子の画像はいくつも確認できましたが、ブロマイド写真として販売された画像を特定することは出来ませんでした。

 

アナタハンの女王事件の真相

島に取り残された男達が比嘉和子を巡って争いが起き、死者や行方不明者が出たとされる『アナタハンの女王事件』。

しかし、実際に事件が起きたのかはハッキリしていません。

日本ではアナタハンで起きた出来事をマスコミが面白おかしく書き立てています。

実際に島で何が起きたのかは、詳しい資料などもないので正確なことは分かっていませ。

 

1952年11月に、支援者や実兄と共に東京に上京した比嘉和子は、「サンデー毎日」にて「アナタハンの女王事件」の真相を語っています。

比嘉和子の話によると、

 

・世間に広がっている話には多くの誤解と誇張がある

・比嘉和子を巡って死んだ男は2人だけ

・比嘉和子を巡る争いで亡くなったのは菊一郎とコックの男だけ

・亡くなった男の多くが喧嘩や殺し合い、事故死や急病が原因

・比嘉和子はアナタハン島で4人の男性と夫婦関係を結び、性的行為も行なっていた

 

世間で話題になったような事件は実際に起きていなかったそうです。

 

比嘉和子は1950年6月にアメリカ軍に保護され、アナタハン島から脱出します。

 

この脱出した経緯も島の男から激しいDVを受け続けることに耐え切れなくなって逃亡した説などがありますが、

和子本人が口を濁しているため、真相については不明となっています。

男達の間では争いの原因になる和子を処刑しようとしたことから、和子はアメリカ軍に投稿したという説もあるみたいですね。

結局、アナタハン島で起きた事件・争いの内容や、島での生活は当事者の証言のみで、伝えられたので、実際に何があったのかは不明です。

 

比嘉和子が救出された後、1951年6月に島に残された男たちも投降し、救出されています。

この投降時、男たちは32人から20人に減っていたということだけが事実です。

比嘉和子と島で夫婦関係になっていた男4人は全員死んでいます。

・1人目の夫:菊一郎→男(コック)に射殺された?
・2人目の夫:菊一郎に射殺された?
・3人目の夫:コック→不審死
・4人目の夫:死因不明

 

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比嘉和子役は宮地真緒【ワールド極限ミステリー】

ワールド極限ミステリーの再現VTRで比嘉和子役を演じるのは女優の宮地真緒さんです。

 


生年月日:1984年2月2日
年齢:38歳
身長:168cm
スリーサイズ:B87-W58-H85
出身地:兵庫県
デビュー年:2002年
職業:女優・グラビア

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