2022年8月24日放送の【奇跡体験!アンビリバボー】では志摩市民病院の江角悠太院長が取り上げられます。
【3-E Dream~病院長への道~】#夏セミ
江角悠太 先生
/志摩市民病院「小医は病を癒し、中医は人を癒し、大医は地域を癒す。地域の厚労大臣は、地域医療を担う市民病院の病院長である。特に田舎には唯一の存在となる。すなわち、将来の君たちの手にかかっている。お待ちしております。」 pic.twitter.com/iXitl5XgkE
— 家庭医療学夏期セミナー広報 (@kasemipr) May 21, 2022
江角悠太さんは、三重県志摩市にある総合病院『志摩市民病院』を再建したことで知られる元ヤン医師です。
いったいどのような医師なのでしょうか?
江角悠太の経歴と大学・高校
【 生徒、保護者の方へ 】
★NHK総合 「逆転人生『過疎地の病院を救え 新米医師の奮闘』」
★11/2月 22:00〜22:45放送
▼西高52期卒業生(志摩市民病院院長)江角悠太氏が取り上げられます。何度も西高に来ていただいています。
▼今入った情報で、直前の連絡ですが、ぜひご覧になってください。 pic.twitter.com/elcPKrHSRU— 都立西高 (@nishi_kou2018) November 2, 2020
江角悠太氏は東京都出身。家族は両親と弟さん。
生年月日は不明でしたが、『2016年4月に34歳』ということが確認できたので、2022年現在の年齢は40or41歳になります。
江角悠太氏は2000年に東京都都立西高等学校を卒業し、2009年に三重大学医学部を卒業しています。
三重大学医学部卒業後は沖縄徳州会 中部徳州会病院で初期研修を受け、宮古島と徳之島で離島研修も経験。
初期研修で行った沖縄中部徳洲会病院が、「絶対に助けを求めてくる患者を断らない」という考えていたことが、後の志摩市民病院の「絶対に断らない」というモットーに繋がっています。
その後、江角医師は2014年12月に志摩市民病院へ「医局派遣」としてやってきます。
江角医師は大学で世話になった三重県への恩返しと、趣味のサーフィンのために三重で骨を埋める覚悟でやってきました。
派遣からわずか2年後の2016年4月には院長に就任します。
このスピード出世には訳があり、2015年秋に、診療所への規模縮小が検討されていた志摩市民病院に見切りをつけた医師が一斉退職していました。
江角医師だけが取り残されてしまいます。
「志摩民病院がなくなると、志摩市の医療が崩壊する」と考えた江角医師は、知り合いの医師を必死に口説き、常勤医師1人、非常勤医師3人(当時)を確保。
それまで志摩市民病院は、救急要請があっても専門外だと言って断ってばかりいましたが、その体制を変えます。
『絶対に断らない』をモットーに掲げ、とにかく断らずに患者を治療。
それまで年間赤字7億円でしたが、赤字額を毎年1億円ずつ減らし、2020年には、赤字額がほぼゼロになるところまで経営を立て直すことに成功しました。
江角悠太の結婚・離婚
江角悠太医師は結婚をされていたそうですが、病院の仕事が忙しく、奥さんとは離婚してしまったとの情報がありました。
現在は結婚しているという情報は確認できなかったため、独身の可能性が高そうです。
江角悠太の父親
江角悠太さんの父親は医学研究社で医師の江角浩安さんで9代目の医者家系でした。
母親は研究者で医療系の博士号をもっており、7歳下の弟も医者です。
江角悠太さんは頭がよかったのですが、学生時代は医師になるつもりがなく、小さい頃から友人との喧嘩など、問題をおこしていました。
江角悠太さんの両親が学校に呼ばれることも多く、そのたびに、両親と祖父母からは、
「自分の力は、自分勝手をするためでなく、世の中のために使いなさい」「お前の人生は人のために使うんだよ」
と言われていたそうです。
それでも江角さんは麻雀やバイクに明け暮れ、荒れた生活を送り続けていましたが、
高校2年生のときに映画「パッチ・アダムス」を視聴。
主人公が無料で受けれる病院を作り上げ、患者を幸せにする姿を見たことがきっかけで医師を目指すことを決意します。