今回は新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)についてとりあげます。
耳かき専門店の女性従業員だった江尻美保さん(当時21)とその祖母:鈴木芳江さん(同78)が林貢二によって殺害された事件です。
この事件が11月23日の『ザ世界仰天ニュース』で取り上げられます。
そこで今回は新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)についてまとめていきます。
事件概要:新橋ストーカー殺人事件(耳かき店員殺害事件)とは?
新橋ストーカー殺人事件 耳かき店員殺害事件 林貢二(朴貢二)→耳かき専門店の女性従業員とその祖母が襲われる事件が発生。2人は顔や首などを刃物で刺され、祖母はその場で死亡、女性従業員は意識不明の状態で病院に搬送されたが1ヶ月後の9月7日 pic.twitter.com/UNPeawD4tl
— 凡人[●]マカロニ (@bonjin69Anarchy) September 6, 2013
2009年8月3日午前8時50分頃、林貢二(当時41歳)は東京都港区西新橋の江尻さん宅に侵入し、
鈴木芳江さんをハンマーで殴り、首をナイフで刺して失血死させます。
江尻美保さんも別のナイフで刺し、江尻さんは意識不明の重体になり、病院に搬送されますが約1カ月後に死亡しました。
事件当時、付近の住民から、「ナイフを持った男性が女性と喧嘩している」と通報があったため、すぐに警察が駆け付け、その場で林貢二は逮捕されました。
江尻美保さんは東京都秋葉原の耳かき専門店で、「まりな」という名で耳かき嬢として働いていました。
林貢二は2008年2月から江尻さんが働く耳かき専門店に通い、江尻美保さんを指名し続けており、少なくとも200万円以上を費やしていたと報じられています。
一日に6時間以上店にいる時もあったそうです。
林貢二は江尻さんとお店会うだけでは我慢できなくなり、江尻さんをしつこく食事に誘うなどした結果、店を出入り禁止となります。
林は江尻さんの自宅で待ち伏せたが逃げられるなどしたため、逆上した林は江尻さんに憎悪の念を抱くようになり、犯行に及んだとされています。
※『林貢二』という名前から、在日だという噂がありますが、真偽不明となっています。
江尻美保さんのかわいい顔画像
こちらの女性が、耳かき店で『まりな』として勤務していた江尻美保さんです。
美人でかわいい女性で、お店でも人気の耳かき嬢でした。
林貢二は2008年2月頃に江尻美保さんが働いていた耳かき専門店に来店し、接客した江尻美保さんの事を気に入り、のめり込むようになります。
2009年4月に林は江尻さんに一方的に好意を寄せて、交際を申し込みます。
江尻さんはこれを拒否し、その後、林は客としての出入りも禁止されてしまいます。
店の出入りを禁止されて以降、林は江尻さんをストーカーするようになります。
江尻美保さんは周囲に林貢二からのストーカー行為を相談したり、被害届は出していませんでしたが、警察にも相談していました。
被害届けを出さなかった理由は、当時美保さんの母親が具合が悪く、余計な心配をかけたくなかったからだそうです。
江尻美保さんは事件が起きる前月の7月19日に「客の男に付きまとわれている」として110番通報し、警察が駆け付けますが、不審者は見つかりませんでした。
19日以降は美保さんから警察へ相談はありませんでしたが、8月3日に事件が起きてしまいました。
世間ではこの事件で「耳かき店」の存在も注目されました。
江尻さんの月収額(当時40万と報道)もクローズアップされ、『本当に耳かきだけのお店なのか』と、お店への風評被害もありました。
ネット掲示板などでは江尻さんを批判するコメントの書き込みもあったそうです。
江尻美保さんが働いていた耳かき店も特定されていますが、現在もお店は存在しているようなので店名の掲載は控えます。
江尻美保さんの兄や家族
江尻美保さんの家族は祖母、父親、母親、兄の5人家族でした。
事件現場には江尻美保さんの母親と兄もいましたが、
2人は近所の人に助けを求めており、怪我はありませんでした。
江尻さんの家族の裁判の証言によると、
江尻さんは高卒で、高校時代はファミレスでアルバイト。
高校卒業後は浅草の和菓子店に就職しますが、腰を痛めたため、耳かき店に転職したそうです。
当時、父親が肩を怪我をして休職しており、美保さんは家計を助けるためにたくさん働ていました。
新宿に新装オープンした耳かき店の系列店でも働くようになり、多くの月収を稼ぐようになったと思われます。
両親想いで頑張って働いていた彼女が殺害されてしまったのは許せませんし、当時、心ないネットの書き込みがあったことも許せません。
裁判では美保さんのお兄さんの供述調書が、検察官に読み上げられ、
「妹が何をしたというのですか。いかがわしくない普通のアルバイトをして、普通の女の子として生活していました。結婚して子供を産み、当たり前の幸せをはぐくむはずだったのに、犯人は根こそぎぶち壊したんです。妹を元に戻してください!」
「祖母を今すぐ返してください。優しい生活を返してください。2人にはなんの落ち度もないのに、私たちのそばからいなくなって、家族は崩壊寸前です」
と訴えています。
また、2010年10月25日の公判では、被害者参加制度に基づき江尻さんの父親が記した書面を代理人の弁護士が代読しました。
父親は、
と、極刑を求めました。当時、裁判員制度での死刑求刑は初めてのことでした。
遺族の方は事件後に引っ越しており、その後の消息は不明となっています。
江尻美保さんのブログについて
江尻さんが働いていた耳かき店のホームページには、従業員のブログがあり、お客さんもコメントを書き込めるようになっていたそうです。
お客さんはブログのコメントは読めなかったそうですが、従業員のコメント返しは読めるようになっていたそうです。
11月23日に放送『ザ世界仰天ニュース』ではこのブログや、江尻さんの家族の証言を元に再現VTRが作られるそうです。
林貢二の現在
林貢二は2010年10月時点で42歳と報じられているので、現在は53歳になります。
林貢二は裁判員制度導入後初の死刑が求刑されましたが、無期懲役で刑が確定し、現在は服役しています。
林貢二は自分勝手な犯行で2人の命を奪いましたが、死刑にはなりませんでした。
若園敦雄裁判長は「死刑選択の余地がないか徹底的に議論したが、極刑がやむを得ないとの結論には至らなかった」と述べ、死刑適用を回避しています。
林被告は起訴内容を認めていた。判決理由で若園裁判長は、裁判員6人と裁判官3人の評議では、死刑適用について最高裁が1983年に示した「永山基準」に沿って死刑の適否を検討したと説明、犯行態様の残虐性や、被害者2人という結果の重大性は「言うまでもない」と述べた。
ただ「動機は身勝手で短絡的だが一方的に思い悩んだ末に愛情が憎しみに変わった。極刑に値するほど悪質とまではいえない」と指摘。鈴木さん殺害も偶発的で被告には想定外だったとした。
林貢二は2人を殺害しましたが、鈴木さん殺害は偶発的であり、被告にとっては想定外という事で極刑には至らなかったということになるのでしょうか?
ちょっと納得できませんが、仕方ないですね。
弁護側は「犯行時は美保さんだけにとらわれて物事をきちんと考えられない状態で、行動をコントロールする力が相当低下していた」などと主張。
「毎日遺族に手紙を書き、被害弁償も申し出ている」と反省していることなどを理由に情状酌量を求めていました。
人の命を奪ったのに、遺族に手紙を書くことが反省になるとは思えないですね。
被害弁償というのは、江尻美保さんが刺されてから亡くなるまでの入院・治療費や、事件後の家族の引っ越し費用などのことだと思われます。
2009年に起きた秋葉原耳かき小町殺人事件が
仰天ニュースで取り上げられた。
林貢二受刑者が当時41歳。
被害者の江尻美保さんが当時21歳死刑求刑がまさかの無期懲役になった事件。
無期懲役は30年以上の服役になるから、
仮釈放が認められるのは70歳過ぎ…。#仰天ニュース#無期懲役 pic.twitter.com/xDV0oq8qQo— たか(taka) (@trainn777) November 23, 2021
林貢二の現在と生い立ちwiki経歴
林貢二の実家は千葉県千葉市にあります。
林貢二の家族は両親と兄の4人。
小中高と学生時代の成績はよくなかったそうです。
電気関係の専門学校を卒業後に設計関係の会社に就職し、事件が起きるまで働いていたそうです。
家族仲はよくなかったみたいで、28歳から千葉で1人暮らしを始めます。
実家には年に1、2回帰っていたそうです。
26歳のころ膠原病を発症しており、再発の恐れがあるため、結婚は考えなくなったと裁判で証言。
精神鑑定も行われ、抑鬱反応は見られたが、精神状態に問題は認められませんでした。
2008年2月頃から江尻さんが働いていた耳かき店に通うようになりますが、収入のほとんどを耳かき店につぎ込み、預金を切り崩す生活を送っていたそうです。