ダッカ日航機ハイジャック事件犯人(釈放)の現在と顔写真

スポンサーリンク

9月20日の「ザ!世界仰天ニュース」ではダッカ日航機ハイジャック事件が取り上げられます。

 

当時の首相・福田赳夫氏が「一人の生命は地球より重い」と述べたことで有名な事件ですね。

 

事件の概要や犯人、そして超法規的措置で釈放された人物についてまとめていきます。

スポンサーリンク

ダッカ日航機ハイジャック事件について

 

1977年9月28日、日本赤軍の5人の男によってパリ発東京行きの日本航空472便が、中継地のインド・ボンベイを離陸後にハイジャックされます。

 

ハイジャック犯は午後2時30分にバングラデシュのダッカ空港に強行着陸させ、

乗客・乗員151人の人質と引き換えに、日本国内の獄中にいる活動家9人の釈放と出国、身代金600万ドル(当時のレートで16億円)を要求します。

 

当時の福田赳夫内閣は、「人の命は地球より重い」と翌日に超法規的措置をとり、犯人の要求を全面的に飲むことを決断します。

 

 

 

 

事件発生から4日目の10月1日午前3時半、ハイジャック犯が釈放を要求した9人の受刑者のうち出国を希望した6人が、東京拘置所を出発。

 

50分かけて羽田空港に移送され、法務省の出入国管理事務所に到着。

出国の最終的な意思確認を受けて、6人全員が出国を希望し、ダッカに向かうことになります。

また、身代金約160億円も用意され、釈放された6人は身代金とともに護送機に搭乗。

10月1日午前6時にバングラデシュに向けて出発し、その日のうちにダッカ空港に到着します。

 

ダッカでの交渉は、犯人側が釈放された活動家1人を機内に引き渡すごとに10人ずつ解放するなど小出しにしたため、難航。

 

粘り強い交渉の末、人質と釈放犯・身代金との交換は10月2日午前0時すぎより開始されます。

犯人は小刻みに人質を解放しましたが、人質が残りの36人になったところで、思いもよらない事態になります。

 

なんと現地でハイジャックに乗じたクーデターが起きて、バングラデシュ政府が日航機に離陸を命じたのです。

 

乗っ取り機は人質を乗せたままダッカ空港を離陸。

3日にクウェート、シリアのダマスカスに強行着陸し、計17人が解放されます。

4日午前1時25分には、アルジェリアのダルエル・ベイダ空港で犯人・釈放犯が同国当局に投降し、最後まで人質となっていた19人(交代乗員としてダッカから乗った3人を含む)が解放されました。

幸い、死者が出ることなく事件は解決に至りました。

 

このときの日本政府の対応については国内外から批判が起こりました。

諸外国ではテロ事件に際して強硬策を行使することが大勢となっていますが、日本政府がハイジャック犯の要求に全面的に応じてしまったためです。

 

ただ、ダッカでの交渉は、犯人側の周到な計画により、バングラデシュ政府を仲介にして進めざるをえずに難航。

さらにバングラデシュ側は、早期自主解決と流血阻止を大前提としていました。

そのため、日本側には強硬策をとる余地はほとんどなかったともいえます。

ダッカ日航機ハイジャック事件の犯人の現在と顔写真

ハイジャック犯の5人の名前は以下の5人です。

 

・丸岡修(2011年に死去)
・和光晴生
・佐々木規夫
・坂東國男
・西川純

 

実行犯として丸岡修と西川純が逮捕され、無期懲役判決を受けています。

和光晴生はこの事件では訴追されず、別事件で訴追され無期懲役判決を受けています。

佐々木規夫と坂東國男は現在も国外逃亡しており、 国際手配中です。

釈放された人物の名前・顔写真と現在

超法規的措置で釈放されたのは以下の6人です。

 

・奥平純三
・城崎勉
・大道寺あや子
・浴田由紀子
・泉水博
・仁平映

 

釈放された6人メンバーのうち、1986年に泉水博、1996年に城崎勉、1997年に浴田由紀子がそれぞれ身柄を拘束されています。

 

 

残りの3人は現在も国際手配されています。

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました