「アンネの日記」で知られるユダヤ人少女アンネ・フランク。
第二次世界大戦中、1942年から44年の2年間の間、アンネ一家は父親所有の倉庫に2年以上隠れ住んでいました。
1944年8月4日にナチスドイツとオランダ当局によって発見されましたが、なぜアンネ一家が見つかったのか長年謎でした。
2022年1月17日にアンネ・フランク一家の隠れ家を密告した可能性がある人物をFBIの元捜査官や歴史家ら約20人で構成する研究チームが特定したと報じました。
その人物はユダヤ人公証人のアーノルト・ファンデンベルフです。
※現在更新中の記事です。
アーノルト・ファンデベルフとは何者で顔画像は?wiki
ロイター通信によると、アンネ一家の隠れ家を密告したのは比較的無名のユダヤ人公証人アーノルト・ファンデンベルフ(Arnold van den Bergh)と報じています。
名前の読みはアーノルド・ヴァンデンバーグや、アルノルトとも読まれるみたいです。
外国の方の正式な名前の読み方は分からないですが・・・
アーノルト・ファンデンベルフは自分の家族を守るため、フランク一家を裏切った可能性が「極めて高い」とのこと。
海外メディアでは、アーノルト・ファンデンベルフはオランダの公証人でアムステルダムのユダヤ人評議会のメンバーだったと報じられていました。
アーノルト・ファンデンベルの生没年は1886-1950。
※アーノルト・ファンデンベルフの顔画像は確認できませんでした。
※追記 顔画像が確認できました。
こちらがアーノルト・ファンデンベルフの顔写真です。
ファンデンベルフは、ナチスがユダヤ人をオランダから追放するために設立させた組織「ユダヤ人評議会(Jewish Council)」の創設メンバーであり、有名な実業家でもあったみたいです。かなりの資産家だったらしいです。
子供もいたみたいですが、現在子孫がどうなっているのかは不明となっているようです。
死因は咽頭がんで、年齢は64歳で亡くなっています。
アンネ フランク一家をナチに売ったのはArnold van den Bergというアムステルダムの著名ユダヤ人ビジネスマンだったという説が発表された。
同じユダヤ人に裏切られたなら本当に情けない話だろうがユダヤ人にも当然の事ならがいろいろな人がいるという事だ。https://t.co/6VgpfVLxbQ
— ゆずる.Y (@recorderchan) January 17, 2022
アーノルト・ファンデンベルフについて、詳しいことは不明ですが、
裏切者(密告者)の容疑者候補リスト30名のなかに以前から名前が載っていた人物だったみたいです。
特定に至った経緯ですが、アーノルト・ファンデンベルフの名前が書かれた匿名の文章が見つかったみたいです。
文章にはファンデンベルフは、アムステルダムの戦時中のユダヤ人評議会のメンバーとしてユダヤ人が隠れていた住所を知ることができ、住所のリストをナチスに渡して自分の家族を救ったということが書かれていたようです。
1964年にアンネの父オットーが警察に対し、自分の家族や他の人々を裏切った者としてファンデンベルフを名指しする文書を、戦後間もない時期に受け取っていた話していたそうです。この文章の写しが警察署の資料の中から発見され、特定に至りました
以上がアーノルト・ファンデンベルフについての情報です。
オランダ語の記事などを参照したので間違っていたら申し訳ないです。

現時点の日本の報道では、
『特定した研究チームのメンバーは、17日のオランダ紙NRCに対し、自分の家族を守るため、フランク一家を裏切った可能性が「極めて高い」と述べた。』
とありますが、海外メディアではアーノルト・ファンデンベルフに対する証拠(文章)は決定的なものではないと強調しています。
名指しされていますが、アーノルト・ファンデンベルフが密告したと確定というわけではないみたいです。あくまで可能性ということのようです。
また、密告者の特定は密告者を糾弾するためのものではなく、歴史検証のためであるとしています。
アンネフランクの生涯
Let’s start the year on a positive note! pic.twitter.com/L3rPAAAyiM
— Anne Frank House (@annefrankhouse) January 3, 2022
アンネ・フランクは1929年6月12日にドイツのフランクフルトに生まれたユダヤ系ドイツ人です。
当時ドイツに広まっていた反ユダヤ感情からアンネの両親オットーとエーディトはアムステルダムに移住します。
1939年9月1日、アンネが10歳の時、ナチス・ドイツ軍がポーランドへ侵攻し、第二次世界大戦が始まります。
1940年5月10日にナチス軍はオランダにも侵攻。
オランダがドイツ軍に占領されると、オランダでもユダヤ人狩りが行われ、1942年7月6日にアンネ一家は隠れ家での生活に入ることを余儀なくされます。
アンネは隠れ家での生活に入る前の13歳の誕生日に日記をプレゼントされていました。
アンネは隠れ家で生活した2年の間、隠れ家での出来事やアンネが感じたことや考えたことを日記に書きます。
1944年8月4日にアンネと隠れ家の住人は警察(ゲシュタポ)に発見され逮捕。アンネの最後の日記は逮捕される3日前の8月1日でした。
隠れ家で暮らしていた8人のユダヤ人のうち、生きて終戦を迎えられたのはアンネの父親オットーだけでした。
アンネを含む他の7人は強制収容所の劣悪な環境により、亡くなります。
アンネの死因は発疹チフスです。亡くなったのは1945年3月上旬頃とされ、15歳でした。
生き残ったアンネの父のオットーが1947年にアンネの日記を出版します。
アーノルト・ファンデンベルフ本当に隠れ家の密告者か?調査歴について
上記で触れた通り、アーノルト・ファンデンベルフにより隠れ家が見つかったということですが、結局のところ隠れ家が見つかった理由はハッキリしていないのが現状です。

これ隠れ家の倉庫番やっていたファン・マーレンって人が怪しいとずっと言われていたけど結局は冤罪だったのね。支援者だったミープ・ヒースまで容疑者扱いしていた捜査もついに解決か?

この件に関しては昔色々調べたけど、この人だと特定できる証拠もないし、憶測の域がでないのが実情。関係者が生存していない以上、実際のところは永久にわからないというのが正しいと思う。
ただ、名指しで密告者とされる人物を公表したこということは、密告者の可能性が非常に高いのではないかという意見も出ています。
これまでの密告者の調査歴ですが、
オランダ警察は戦後、オットーの要請を受け、フランク一家を裏切った人物(密告者)を突き止める捜査に着手。
オットーは、倉庫の作業員が密告したのではないかと疑いますが、捜査でも結論は出ませんでした。
アムステルダムのアンネ・フランク・ハウスは2016年に、隠れ家は情報提供に基づいて捜索されたのではなく、警察(ゲシュタポ)によって偶然発見された可能性があるという調査結果を公表。
この公表に対し、2017年にFBIの元捜査員率いるチームがフランク一家を裏切った可能性が指摘されてきた「容疑者」30人全員について調査すると発表。
アンネの日記や当時の記録からも情報を収集し、専用ソフトウェアでデータをスキャンして容疑者を絞り込む。調査チームは捜査員のほかデータ分析やプロファイルの専門家、歴史家、犯罪学者などで構成。一般からも情報を募り、俳優を使って過去の目撃証言や容疑者の発言を再現してもらう。
最新技術や俳優さんまで協力してもらい調査に乗り出します。
そして、2022年1月17日にアーノルト・ファンデンベルフが密告者の可能性が高いと発表。
調査チームを率いたのはかつてFBIでコロンビアの麻薬犯罪組織を追っていたビンス・パンコーク氏と報じられています。